アメリカの産婆


積んでおいた本の山からほとんど無作為に取り出したのが18-19世紀のアメリカの産婆の日記の研究書だった。 それにさっと目を通す。 

メディカル・マイクロヒストリーとでも言うジャンルがある。 医者の日記や診療録などをコアのマテリアルにして、丁寧に再構成された社会史。 社会史一般では『モンタイユー』などがインスピレーションになって、医学史の中では、例えばマイケル・マクドナルドの Mystical Bedlam などがお手本、有名なところではデューデンの『女の皮膚の下』、日本では昼田源四郎さんの『流行病と狐憑き』など。 私自身はこの手のリサーチはしたことがないが、いま手をつけている日本のマテリアルは、こういったスタイルでまとめてみたいなと思っている。この書物は、メーン州の小さな街に住んでいた産婆兼家庭医の女性の日記から、その社会のありさまを病気と出産を中心に丹念に再構成した研究書。 歴史的に洗練されたプロフェッショナルな分析が、達者な語り口で一般読者に分かるように綴られている。ピュリツァー賞や、複数の学術賞に輝いている。 腰をすえて落ち着いて読むべき本だが、今はちょっとその時間はない。イントロダクションと、いくつかの章の最初を読んだ限りでは、日記自体はきわめて短い事実の羅列らしい。そういった史料から歴史学的に重要なポイントを抽出するために、かなりの力量と緻密なリサーチが注がれていることは間違いない。最近、ぱっと紹介するだけで少なくとも一つの学会報告が成立するような、「それ自体として面白い話」を無意識に探している自分に気がついて、反省する。
この時代にはアメリカにも men-midwife (妙な言い方だが、<男産婆>と私は訳している)が興隆する。この研究書の主人公を大きく圧迫はしなかったが。 その中で、1820年に出版されたパンフレットで、産科学を学ぶためには解剖学が必要で、女性は解剖をすると繊細な感受性を失ってしまうから、女性には産科学は学べない、という論旨が展開されていた。日本の女子医学教育や初期の看護婦教育では、こういうことは問題にならなかったのだろうか。今から20年ほど前に、ある年配の知人が、看護婦は男性の裸の体に触れるのに慣れているから、女性らしい慎みをなくしていると言っているのを聞いたことがあるけれども。
 
 巻末に日記から作成した「使用薬物一覧」があった。産婆だけでなく、他の病気の治療も含んでいるデータである。 地元で採取した植物が約50種類、購入した薬材が約25種類。 (重複して数えているものもある。)約30年で75種類弱。取ったものと買ったものの比率は2対1。覚えやすい数字だし、頭に入れておこう。

文献は Laurel Thatcher Ulrich, A Midwife’s Tale: The Life of Martha Ballard, based on her Diary, 1785-1812 (New York: Vitage Books, 1991)

画像は Thomas Rowlandson, A Midwife Going to a Labour (1811)