Medical Historyというウェルカム医学史研究所の機関誌があり、その雑誌の別冊号が一年に一回のペースで発行されている。これは論文集とかモノグラフのときもあるが、たいていは資料の復刻に学術的なイントロダクションと註が着いたものである。内容の水準は高く、表紙は豪華な布張りで、その手触りが旧き良き医学史を彷彿とさせる。その一冊から。 Manuel, Diana E., ed., Walking the Paris Hospitals: Diary of an Edinburgh Medical Student, 1834-1835, Medical History Supplement, 23(2004).
パリの病院で臨床医学を学んでいたイギリス人の医学生がつけていた詳細な日記。ダイアリストは完全に特定はされていないが、エディンバラ大学の医学校で学んでいることは確かで、おそらく James Surrage という後にクリフトンで開業した医者であると推定されている。1834年の11月から翌年の6月までをカバーし、ほぼ毎日にわたって、主に出席した講義や実習のメモが記されている。この手の資料を読んでテクニカルな内容がきちんと理解できるわけではない。外科、眼科、皮膚科が多く、聞いたこともない病気に、想像もできない治療法が施されている。しかし、そういったものを読んでいると、何というのだろうか、昔の医学の「空気を吸う」ことができる。
1810年代から20年代に一世を風靡したブルセは既に老害教師になっている。ダイアリストはブルセとアンドラルという二人の教師の授業を同じ教室で続けて取っているが、それは、アンドラルの授業は非常に人気があって席が取れないので、退屈だけれどもブルセの授業から我慢して出ていなければならないからである。かつてのスター教師の実力を見極めることができるあたり、19世紀にパリに追い越されたとはいえ、さすがにエディンバラの医学校の学生だなという感じである。
このダイアリストが最もショックを受けたのは産科学の実習である。講師はまだ若い女性の産婆だった。(1830年代の男性の医学生が女性産婆から実習を習うこと自体、産科学の歴史の研究者には常識かもしれないが、私は驚いた!)産科学だから、実習の素材は当然のように生きた女性である。その女性たちを講師の産婆が触診してみせたあと、男の学生たちが順番に触診する実習である。例えば、膣の中に指を差しいれて妊娠しているかどうかを指先で感じわける実習(バロットモン)をしなければならない。これは見学するだけなら無料だけど、女性に触るためには料金を払わなければならない。「おさわりは別料金になります」というわけである。 まるで何かみたいじゃないか、と思ったのは私だけではない。このダイアリストも似たようなことを考えていて、「イングランドの道徳的な人々がこれを知ったら何と言うだろう?こんな形式の産科学実習を提案しただけで、社会から追放されるだろう」と記している。