山村秀夫『痛みの征服―麻酔科医の誕生』(東京:日本経済新聞社、1966)
先日森脇君のツィートで話題になった産科医。1965年に当時の美智子妃が第二子の礼宮を出産するときに産科麻酔を用いることになったが、その麻酔を行ったのが当時東大の教授であった山村である。この時に美智子妃が用いた麻酔が、日本の皇室が初めて用いた産科麻酔であろうと週刊誌に記されていたし、これはおそらく事実であろう。しかし、そう読んで、狼狽に近い驚きを感じたのも正直なところである。外国に比べて、麻酔が導入されるのが遅すぎるからである。
組織的なリサーチが必要だが、比較対象としてイギリスを選ぶのが都合がよい。イギリスの産科麻酔では、1853年にヴィクトリア女王がレオポルド王子を出産したときに、ジョン・スノウが麻酔をしたのが有名である。日本の皇室が利用する110年前である。また、イギリスにおいては、女王が産科麻酔を利用したことが、一般の人々に麻酔を広める大きな理由となった。出産時の麻酔は、その是非について議論がある主題であり、麻酔を使うことを批判する根拠は聖書の字句であった。旧約聖書の創世記によれば、陣痛は神が女に命令したことであり、「お前のはらみの苦しみを大きなものにする / お前は苦しんで子を産む」と言っている。その字句を用いた議論がされていた状況で、イギリス国教会の長が率先して産科麻酔を用いたことは、産科麻酔の利用を急速に進めたものであった。
一方で、日本においては、山村も記しているように、産科麻酔の導入定着が非常に遅れる。山村によると昭和26年頃であるという。それ以前に用いられていたこともあるだろうが、それは医師の評判を非常に下げるので、発表はされなかったし、むしろ隠されただろうという。とにかく、昭和26年以前には日本においては産科麻酔の利用は著しく少なかったことは確かである。しかし、昭和26年以降に、当時の冷戦の両翼であるアメリカとソ連の双方から産科麻酔が導入される。アメリカにおいてはGHQの影響だろうし、ソ連については条件反射の概念を用いた精神予防性麻酔がさかんに唱えられ、日本に導入されたとのこと。
より問題なのは、なぜ日本において産科麻酔が長く用いられなかったかということである。これは、麻酔一般が用いられなかったということではない。幕末にはエーテルもクロロホルムもすぐさまに導入され、エーテルなどについては、アメリカにおける世界最初の麻酔の利用の9年後にはもう日本で用いられているという、日本の医学のある部分の特徴である「追う足が速い」ありさまがよくうかがえる。西南戦争の時の軍陣外科の麻酔では、クロロホルムなどがばんばん使われていたという。それに対して、産科麻酔については、その導入に100年以上のずれがあったという事実がある。なぜだろうという問いに対して、山村は、西欧では痛みに敏感であるのに対し、日本では痛みをこらえることが美徳であるからと書いている。もともとこの書物は、歴史については安上がりに書かれた本であり、この部分もきちんと調べて書いたことではないだろう。軍陣医学においては西欧にすぐに追いつき、女性の出産の痛みについては、100年以上遅れたという、ある意味で私たちが知っている近代日本の欧米に較べたときの、いびつな(と言っていいと私は思う)発展の形が見えてくる。問題は、何がそのいびつさを作り出したかという分析である。