精神病の「エコロジカル・ニッチ」


 夏の休暇から11日に帰ってきました。 新たな気分で、仕事もブログも再開です。

 19世紀の末から20世紀初頭のフランスを中心に「流行」した精神病、「遁走」(fugue) についての書物を読む。
 精神医学の歴史についての本を二冊まとめて書評を書くことになった。そのうち一冊は歴史小説である。小説の書評をするのは初めてなので、少し張り切って準備をしている。その準備の一環で、イアン・ハッキングが fugue について1997年に行った講演をまとめた小著を読んだ。有名な『記憶を書き換える』で使わなかったリサーチに基づいたスピンオフかもしれない。
 1886年にボルドーの精神病院に、ダダというガス配管工が入院する。彼は過去数年にわたってフランス国内は言うに及ばず、モロッコ、ウィーン、モスクワ、コンスタンチノープルなどを衝動的に放浪した。その間、記憶が完全に喪失している期間も多い。(「気が付いたらXの町の広場にいた」)ボルドーの医者ティシエは、この興味深い患者を観察し、1887年に「狂った旅人」という表題の書物を発表した。その後、パリ(シャルコー、ヴォアザン)などフランスのほかの地域でも似たような患者が観察され症例が報告される。後に、ドイツ、イタリア、ロシアでもこの病気fugue の症例の報告が相次ぐ。地域的にはこの病気 / 診断は大陸ヨーロッパに限られていて、アメリカとイギリスでは流行しなかった。時代的にも、この病気 / 診断は、1900年代には衰退し、1910年代には用いられなくなる。1880年代から1900年代までの約20年間、大陸ヨーロッパに限定的に「流行」した精神病として、fugue と呼ばれたものがあった。
 ハッキングの書物は二重の狙いを持っている。一つは、この病気 / 診断の流行を説明することである。もう一つの、より重要な目標は、その説明のときに用いた「病気のエコロジカル・ニッチ」の概念が、他の病気、特に現代の北米で激しい論争の対象になっている精神病の分析に有効であることを示すことである。
「病気のエコロジカル・ニッチ」という概念は魅力的である。病気に対する生物学的なアプローチとのエコーを効かせながら、医者、患者、患者を判断する社会、そして患者にとっての利得になる「解放」などからなる「ヴェクトル」の重なり合いによって、ある地域で病気 / 診断が成立したり流行したり廃れたりする、という発想である。
 しかし、残念ながら、この本でのハッキングの議論の詰めは、まだ粗い。アメリカとイギリスでは徴兵制がなかったからfugue が流行らなかったというような議論は、スターバックスでコーヒーを飲みながら話すには面白いだろうが、思いつき以上のものではない。このあたり、ハッキングの新しい著作、「歴史のオントロジー」では詰められているのだろうか。
 理論的な枠組みということでは粗いが、一つ一つの洞察はハッキングらしい冴えが見られた。自己発見をする旅としての遁走と、変質( degeneration) の徴である浮浪としての遁走、という形で遁走の両義性をさらりと喝破するあたり、さすがである。 

文献は Ian Hacking, Mad Travellers: Reflections on the Reality of Transient Mental Illnesses (Charlottesville: University Press of Virginia, 1998).