必要があって、科学哲学者のイアン・ハッキングの書物を読む。文献は、Hacking, Ian, Mad Travelers: Reflections on the Reality of Transient Mental Illnesses (Charlottesville: University Press of Virginia, 1997).
19世紀末から20世紀初頭にかけて、まずフランスで成立し、ドイツなどの大陸の精神医学者の間で使われた疾患概念の fugue (遁走症)を論じた書物。ふっと姿を消して数か月後にはるか離れた土地で発見され、その間の記憶はほとんどないという症例が各地から報告され、遁走性ヒステリーや自動症的放浪などの名称で、一つの疾患であると考えられていた。フランスではシャルコーをはじめとする錚々たる医者がこの病気を論じた。同時代のアメリカ・イギリスにおいては、この概念は知られていたにもかかわらず、概念として定着しなかった。20世紀初頭に、ヒステリーという疾患概念が消滅するとともに、疾患概念としては姿を消した。もちろん、遁走を特徴とする症状はその後も存続し、DSM-IVにおいては、解離性障害の中に遁走を特徴とするものがあげられている。
このように、地理的にある地域に偏って分布し、時間的にもある時期に限定して存在した疾患概念をハッキングが捉える枠組みが、「エコロジカル・ニッチ」である。医学上の概念を生態学の比喩を使って考えるという仕掛けは、一見シンプルな思い付きのようだけれども、私たち医学史の研究者から見ると卓抜な発想である。ある疾患概念が特定の地域や特定の場で限定して用いられるという現象を、世界や社会の全体の特徴と関連させながら、その特定の場で「ニッチ」が成立していたという形でとらえるというヒストリオグラフィは、大きな可能性を持っている。
そのニッチは、四つのベクトルで構成されているという。一つが、その病気が既存の医学の疾病の分類のどこにおさまるかという疾病分類の体系。二つ目が、これは文化の問題で、その文化にどのような価値の極性があるかという問題。価値の極性というのは、遁走性ヒステリーを例にとると、一方に娯楽としての旅行があり、もう一方に犯罪としての浮浪があるというような形でとらえられる。三番目が、行政やマスメディアに関係することで、その病気を観察できるかという問題。四番目が、ハッキングが release と呼んでいる、その病気にかかることで、患者が何から解放されるかという問題で、私は、これは「疾病利得」にだいたい一致すると思う。医学理論、文化、行政、患者といったベクトルが重なったところに、疾病概念を成立させる「ニッチ」が成立し、そのベクトルがずれたり変わったりすると、ニッチが消えて、疾病概念も消えるという。