新着雑誌より。20世紀エディンバラの精神病院における同性愛者に対する治療について。文献は、Davidson, Roger, “Psychiatry and Homosexuality in Mid-Twentieth Century Edinburgh: the View from Jornanburn Nerve Hospital”, History of Psychiatry, 20(2009), 403-424.
アメリカにおける同性愛の解放にとって直接的な「敵」の一つが、同性愛を病気とすることにこだわり続ける精神科医であったことに由来して、同性愛の歴史学の中においては精神医学の評判は非常に悪い。精神医学を同性愛の解放を対立的にとらえる図式は、精神科医の側にもそれなりの理由はあったけれども、私が知る限りではかなりの説得力を持っている。医者に言わせると、自分の同性愛が原因になって強い不安などを持つ人がいて、これは病気として治療する必要があり、そのために原因になっている同性愛を取り除くことも治療のオプションの一つになるべきだという議論は、一応は成立しているように見えるが、それなら、病名として「同性愛」が出てくるのは、やはりおかしい。
現在の研究状況は、それがわかったあと、次はどうやって研究を進展させるのかという話になっていて、実証的な歴史学者がいろいろと考えている。Oosterhuis のクラフト=エビングについての書物(Stepchildren of Nature, 2000) から現れるKEの姿は、ヴィクトリア時代の性の偏見に凝り固まった精神科医ではまったくない。むしろ、KEの書物は多くの同性愛者に読まれて、ポジティヴな自己認識を与える装置であった。(この書物は傑作だから、日本でもっと読まれていい。)この論文も、エディンバラの精神病院の患者の治療記録(症例誌とかカルテとかいろいろな言い方がある)を読んで、どんな同性愛患者が、どのような治療を受けていたかということを分析した論文。
著者によれば、エディンバラの精神科医たちの間では、同性愛の「患者」を治療することに対する迷いがあったという。同性愛だけでは治療の対象になりにくく、それが強迫観念や攻撃性などの特徴を伴った時に、ホルモン療法や心理療法が用いられたが、これらもアドホックに使われていたという。ホルモン治療は別にして、同性愛そのものではなく、それに由来すると考えられた強い不安などの症状を治療していたとも考えられる。
個人的な疑問:ある治療が確信をもって決然と行われていたのか、それとも、おずおずと試されていたのかって、カルテからどうやって判断するのだろう。カルテには「ホルモン投与(おずおず)」とは書いてない。そういうことは考えたことがなかった。