精神医療の人類学

今回の話は、精神医療史の国際比較のような方向の学会でするので、異文化精神医学の本を読み漁っている。その分野での大御所であるハーヴァードのクラインマンの書物を読んだ。
 私のような、いわゆるコテコテの医療の社会史の仕事をしていて、歴史の資料に埋没してしまうことが多い人間にとっては、医療人類学者のパースペクティヴが広い議論というのは重要なインスピレーションである。この本も、だいぶ前に読んだはずなのだが、内容をかなり忘れてしまっていて、「こんな大事な情報が書いてあったのか」と、自分の健忘症ぶりに驚くと同時に、参考になることがとても多かった。特に、1970年代以降にWHOが中心になって行った、一連の精神病の疫学調査についての批判的な議論は、とても面白かった。特に分裂病を中心にして、文化による違いと共通点の双方があぶりだされてきたが、WHOの報告は後者に力点を置いていることなどが、鋭く分析・指摘されている。発展途上国の分裂病のほうが予後が良い、という事実も面白かった。きっと、色々な学者が理由を議論しているだろうから、文献を少しレヴューしてみよう。(このブログの読者で、優れたレヴュー論文をご存知の方は教えてください。)
 しかし、昭和戦前期の東京の精神病院を研究するときに、いわゆる異文化精神医学の議論のコアというのは、あまり助けにならない。医療人類学者の多くが使っている、西洋の生物学的医学 (biomedicine) と土着の医学という対立軸が、私の時代・地域の医療を構造化するのに現実に作用していた力だとはどうしても思えないからだ。戦前には多くの精神病患者が家庭でケアされていた。法律で定められた「私宅監置」もいたが、大半は「非監置」の患者である。統計に表れた数字で言っても、7割から8割が「非監置」の家庭ケアである。「非監置」として数えられていない患者はさらに多いだろう。この患者たちが、実際に家庭でどんな治療なりケアなりをされていたか、ということに光を当てる資料は少ないが、「土着の医学」という言葉から想像される処置を受けることは極めて少なかったと考えて間違いない。彼らの多くは、必要があるときには強力な鎮静剤(処方箋なしで買えたと想像される)を多量に投与されてコントロールされていた。彼らのうちで、家庭で看護できなくなった状態に陥った患者が病院に連れてこられて短期入院し、病状が「改善」すると退院していった。だから、精神病院で行われている医療と家庭看護の間には明確な連続がある。どちらも心理的な説得があり、どちらにも薬物によるコントロールがあった。家庭看護というベースに、短い、しかしインテンスな治療のエピソードとして挿入されたのが、病院での治療だと言い換えてもよい。そのような基本構造を持つ精神医療において、精神病院が使う薬物というのは、どんな意味を持つのだろう、というようなことを考えている。


文献はArthur Kleinman, Rethinking Psychiatry: From Cultural Category to Personal Experience (New York: The Free Press, 1988).