クロルプロマジン革命


9月の頭に、日本の精神医療における薬物の利用について少し話すことになっていて、その準備にかかっている。知り合いが多い気楽な学会だし、しばらく前から暖めているテーマなので(実際のリサーチは何もしていないのだけれども・・・)、夏風邪を引いて調子が優れないが、まあ楽しく書いている。その関係で、『抗うつ薬の時代』で一躍有名になったデイヴィッド・ヒーリーの新作、『精神薬物学の創造』を読む。『抗うつ薬の時代』はハーヴァードから出版されたヒット作の待望の翻訳だが、日本の一般読者にはあまり注目されていないようで残念である。
 『抗うつ薬の時代』では製薬会社への批判が前面に出ていた。製薬会社というのは、マクドナルドと並んで現代の悪役候補 No.1 だなあといつも思う。「製薬会社が悪い」という論陣を張ると、製薬会社以外の全ての人間が同意するかのようだ。叩きやすい敵を分かりやすく叩いたことのが、前作がヒットした一つの理由であることは間違いないだろう。
今回の作品はより多角的な書き口になっている。(クロルプロマジンから現代までを、お得意の口調で、講談を語るように一息で語る芸は変わらない。)政策と文化の相互作用で精神医療の環境が変わり、精神病院の入院患者のプロファイルが変化するにともなって、社会が精神医の役割が変わってきて、そして薬に何を期待するかも変わってくる、という複雑な社会史的なダイナミズムの中に、薬物療法が位置づけられている。(やはりお医者さんなので、そのあたりを整理して分析的に書くことはできていないけれども。)LSDに絡んで([LSDとクロルプロマジンの登場で]「精神医学は、あたかも一夜にして科学的になったかのようだった」)、1960年代の一連の革命的雰囲気なども記述され、メスメリズムとフランス革命との類似も触れられたりしている。 第8章 Democracy は、こういった流れの中にクロルプロマジン以来の向精神薬を大胆に位置づけたものである。精神医学の対象である症状が色々な理由で変わってきた、という新たな動的な視角を持った社会コントロール論といってよい。もちろん、疑問符をつけようと思えば、1ページに10回くらい疑問符をつけることができるだろう。しかし、この20年の精神薬理学革命を論ずるときには、必ず参照しなければならない議論であるし、それ以外の時代を論ずるときのヒントがたくさん力作である。 前作に引き続き、翻訳が待たれる。

文献は David Healy, The Creation of Psychopharmacology (Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 2002).  ヒーリーの前の著作は、『抗うつ薬の時代:うつ病治療薬の光と影』林健郎・田島治訳(東京:星和書店、2004)