フランスの植民地精神医療


 北アフリカのフランス植民地における精神医療についての論文を読む。

 植民地精神医療ほど、ヨーロッパの「文明化の使命」にあてはまりが良い分野はないだろう。植民地では(ヨーロッパでもそうだが)、精神病患者は大概鎖につながれていたり、小屋や牢屋の類に閉じ込められている。そんな境遇の患者たちを「解放」して、新たに建築したヨーロッパ風の近代精神病院に移してやることは、文明の福音を延べるヨーロッパ人の自画像に見事にあてはまる。そして、この植民地での解放は、近代精神医学の起源神話の再演でもある。多くの国の近代精神医学の起源には、鎖からの解放があり、それをなしとげた英雄がいる。フランスのピネル、イギリスのコノリー、日本の呉秀三などなど。植民地に精神病院が作るという行為は、この起源神話をなぞって、蒙昧と野蛮から患者を自由にすることであった。特に、ピネルの個人崇拝の傾向が強かったフランスの精神医学は、この起源神話を植民地精神医学に重ねる傾向が強かった。(よく確かめなかったが、オーストラリアの精神医学には起源神話がないらしい。)
 ここまでは常識的な話である。面白かったのは、フランスの植民地精神医学が進み、北アフリカの各地で精神病院が作られるのは、フランス本国ではピネル神話が色あせ、精神病者収容院は「失敗」であるとみなす風潮が顕著になってきた、1880年代であった。これに気がつくと、植民地精神医療の歴史は俄然面白くなり、矛盾と緊張とさまざまな解釈の可能性がある主題になってくる。この論文の著者が言うように、植民地での実験によって、本国で閉塞した精神医療を再活性化しようとしたのだろうか? それとも、植民地での精神医療は、本国の精神医学が迷い込んでしまった閉塞への道に陥らずに新たな精神病院を切り開く希望を託されたジークフリートだったのだろうか? 


文献はKeller, Richard C., “Pinel in the Maghreb: Liberation, Confinement, and Psychiatric Reform in French North Africa”, Bulletin of the History of Medicine, 79(2005), 459-499.