労働者階級から見た公衆衛生

 古典的な「下からの社会史」の手法で記述された労働者階級の公衆衛生観の論文を読む。

 E.P. トムソン流の下からの社会史を、公衆衛生の歴史に適用した論文である。これまでの公衆衛生の歴史は、同時代の中産階級の衛生改革者たちの視点をそのまま無批判に使っていた。労働者階級は自らの衛生状況に無関心であるか、あるいは改革者たちのプログラムを受動的に受け入れたかのように書かれていた。The Great Unwashed はしかし、チャドウィック流の環境主義とは違う衛生観を持っていた。彼らは、水の味を重んじ、健康に良い水とそうでない水の違いを区別することを知っていた。1849年のリーズのコレラ流行の時には、労働者たちは化学工場からの煙と鋭い臭いが毒を消毒するという理解に基づいて行動していた。中産階級からの批判に晒されながらも、都市でブタを買うことは、汚物の処理に合理的な行動であることを信じていた。(豚は汚物やごみを食べてくれるから。)そして、彼らにとって、ミアズマがない環境よりも、ふんだんな食物が健康の源であった。食物は人間を動かす「燃料」であることは、工場の動力で動く機械を知っている彼らにとっては、日常の職場での経験に合致した思想であった。

 シンプルだがとても面白い視点である。色々な発展の可能性もある。こう考えると、クリストファー・ハムリンが描いている「衛生か食物か」という、チャドウィックの時代の中産階級が直面していた二つの選択肢の間のディレンマも違った意味を帯びてくるし、20世紀の「栄養学の発見」も、違う流れの中に位置づけられる。こういう分析を、これから書く近代日本の病気と健康の歴史の中に、入れたいと思う。ここまで行かなくても、衛生改革者たちが持っていた複数のパラダイムという分析は、明治の赤痢の文脈で、できそうな気がする。

文献は、Sigworth, Michael and Michael Worboys, “The Public’s View of Public Health in Mid-Victorian Britain,” Urban History, 21(1994): 237-50.