古代ギリシアの痙攣療法?

 よく分かりもしないギリシャ・ローマの古典学の研究書を有難がって読むのが私の道楽の一つである。深い学識と緻密な議論がつまった端正な英語の散文にただただ感心しながら読む。読んだ後は、何となく頭が良くなったような錯覚に陥る。今回は、別の文脈で読んだ本に確かこんなことが書いてあった・・・と思い出して読んだ。ロバート・パーカーのギリシアの「ミアズマ」の本である。

 段落ごとに古典研究の洞察の重みがぎっしりと詰まった本で、書物全体をまとめるのは私には荷が重いし、また惜しい。こういった本の味は、きめ細かい議論の「切れ」である。探していた情報で私が個人的にはっとした一つの議論を記しておく。古代ギリシアの狂気の治療についてである。

 健康と道徳のオーヴァーラップという基本的な問題がある。病気と罪とはしばしば重ね合わされる。だから流行病の対策はあるときは宗教的な悔い改めになり、あるときは贖罪の山羊探しになる。らい病の原因は祖先が犯した罪に帰せられ、精神病は自己責任の病であるといわれる。学部一年生にまず教えるトピックである。パーカーも、病気と罪の融合・医学と道徳のつながりについて議論をしている。しかし、1980年代前半に書かれた本とは言え、「健康と道徳が関係がある! 健康は純粋に医学的な問題でなくて嬉しいな♪」という子供っぽい議論を、オクスフォードの古典学者がするわけがない。彼は、両者の重なりよりもむしろ逆の事例に着目する。つまりデュオニソスやコリュバンテスなどの、エクスタシーの忘我恍惚の中で狂気が癒される儀礼を取り上げ、ギリシアにおいて精神病をいやすテクニックは、必ずしも道徳性・合理性と結びついてはおらず、むしろその反対の傾向の宗教と強い結びつきがあったという。

・・・・ なぜこの1週間、20世紀の痙攣療法や失神療法の論文を読みまくってきて、気がつかなかったのだろう。『カッコーの巣の上で』でジャック・ニコルソンが食らわされた電気ショックは、古代ギリシアから連綿と続く、<治療の道徳的な意味づけを問うことなしに>患者の気を失わせる技法じゃないか。そう考えると、新しい問題が見えてきた気がする。

文献は、Parker, Robert, Miasma: Pollution and Purification in Early Greek Culture (Oxford: Clarendon Press, 1983).