精神医学用語統一

必要があって、1930年代の精神神経学会の用語統一についての議論を読む。文献は、林道倫「精神病学用語統一試案に関する覚書」『精神神経学雑誌』42(1938), 446-457.石川貞吉「神経精神病学用語(精神病学之部)統一委員会試案読後感」『精神神経学雑誌』42(1938), 440-445. もうひとつ重要な文献があるが、これは『精神神経学雑誌』の別冊形式になっていたらしく、うちの大学図書館では見当たらないとのこと。

1937(昭和12)年に精神神経学会は精神病学用語統一試案を作って会員の意見をつのった。それまで教科書によって基本的な病名や概念の用語が違うという状況が長く続き、その混乱を収拾するためだと思う。いくつかの大学の精神科が並存・競合する状況で調整を図ったということもあるのかもしれない。

この改正について面白い議論ができるのは、ドイツ語と日本語に深く通じている語学のエキスパートだろう。どちらの論文も、この時代の精神医学者のドイツ語と日本語の深い知識が遺憾なく発揮されていて、難しい単語や漢字が駆使されている。それでも、林は易しい漢字を使おうとしたというから驚く。「うつ」は「鬱」ではなく「欝」にしたなどと書いている。石川は林に「支那趣味」と茶化されながらも、中国古典本来の語を提唱しているし、杉田直樹などは、学術語をあまりに平易にするのは、素人に誤解されるから、難しい言葉がいいと主張して「精神分裂病」ではなく「精神乖離病」にこだわったそうだ。「精密な学問上の表現が流俗の間で堕落していく」危険については、林も認めている。性病理学の言葉はなるべくマイルドなものにしたそうだ。「どうせ内容は分かっているのだから、何も好んで関西語のいわゆるエゲツナイ言い方をしなければならぬ必要もなかろう」と林は書いている。(これは、関西では性病理の現象についてえげつない言い方をしていたたとえば、サディズムについての「エゲツナイ」言い方と「マイルドな」言い方って、なんだったのだろう?