抗うつ薬の時代

精神薬理学の新しい地平を切り開いた名著、『抗うつ薬の時代』を読む。この10年間、精神医療の歴史に新風を吹き込んでいるデイヴィッド・ヒーリィの出世作である。

 精神科薬物療法のヒストリオグラフィを占拠してきた枠組みに、身体療法と心理療法の対立というのがある。この二項対立を軸にして歴史を書くことは決して不毛ではないが、新鮮味という点では絶無と言ってよい。この対立を理系と文系の対立に重ね合わせて、精神科薬物療法の歴史を「二つの文化」の戦争の場にすり替え続けている両陣営の論客たちは、あまり意味がない戦いに夢中になってとても大事なことを見落としている。 

 ヒーリィの書物が新鮮な風を吹き込んだ一つの理由は、抗うつ剤の発見と普及をめぐる別の重要な対立軸をいくつも明らかにしたことである。まずは、医療における経験主義と理論主義の対立。(精神科医療の重要なブレイクスルーは、なぜ効くのかよく分からないまま、定着し広がっていった。)あるいは、RCT(ランダム化臨床検査)などの標準化された統計的な手法と、臨床における計量化できない要因の対立。あるいは、問題の解決によってではなく、解決方法にあわせて問題を設定することで医療が駆動されているという批判。こういった新しい視点に沿って、豊かなマテリアルが流れるような記述の中で語られている。必読の名著である。

文献は、Healy, David, The Anti-Depressant Era (Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press, 1997) 『抗うつ薬の時代』として翻訳もされています。