華厳の滝・三原山・死のう団

 一週間ほどお休みをいただきましたが、今日から再開です。いよいよ目前に迫ってきた自殺のリサーチから。文献は、朝倉喬司『自殺の思想』(東京:太田出版、2005)

 時間の都合で最初の三章しか読めなかった。本来、ノンフィクション作家が書いたものなので、歴史的な部分よりも、現代の書き手の経験と直感を生かせる部分のほうが質が高いのかもしれないが。読んだ部分(おそらく残りの部分も)、「個人と国家と社会」の概念を使い、デュルケームの自殺の類型に触れながら、日本における「個」「自我」の歴史の枠組みの中で、日本の自殺の歴史を辿ろうという趣向になっている。そこで、何かの規範に縛られて死ぬのではない近代的な「自己本位的自殺」の代表として、明治36年に華厳の滝に飛び込んで自殺した一高生・藤村操と彼を取り巻く言説をとらえる。昭和8年の三原山自殺が生み出した一連の自殺・心中ブームは複製技術時代のアノミー的自殺としてとらえられる。同じく昭和8年から活動を始めた日蓮宗系の新興宗教団体で、「死のう!」「死のう!」と連呼する合言葉で有名だった「死のう団」は、集団本位的な自殺の類型としての性格を持っている。(ただし、一度自己本位制を通過した集団本位制だというようなことを著者は書いている。ここが面白いところかもしれない。) この「死のう団」を生み出した集団本位主義が、過激な超国家主義者や、のちの「一死報国」、集団自決につながっていく。 

 デュルケムと一般的な歴史観にあわせて、明治以降の有名な自殺事件を三つ類型化して並べようとすると、なるほどこうなるのだろうなと思う。