イスラエルのロボトミーについての論文を読む。文献はZalashik, Rakefet and Nadav Davidowitch, “Last Resort?: Lobotomy Operation in Israel”, History of Psychiatry, 17(2006), 91-106.
イスラエルでは1946年から60年の間に数百件のロボトミー手術が行われた。第二次世界大戦後、知的・政治的にイスラエルがアメリカを向いたことの産物である。戦前のイスラエル・パレスチナの委任統治領下では、ドイツの精神医学の影響が大きかった。精神医学者たちは、ドイツ語圏の精神医学の薫陶を直接間接に受けたヨーロッパからの移民ユダヤ人であった。しかし、第二次世界大戦後、ドイツの精神医学の人気はイスラエルで失墜し、代わってイスラエルに対する強力なパトロンとなったアメリカの精神医学者たちによって推進されたロボトミーが、イスラエルでも行われるようになったという。 日本の状況と似ていなくもない。
イスラエルのロボトミーを決定するパラメーターとなっていたのは、屈折した人種理論とシオニズム、そして戦後のすさまじい移民の波が作り出した、激変する極めて複雑な民族関係であったと著者は言う。身体論の教科書的な図式だけれども、私が知らない形でひとひねりしてあって(ユダヤ人研究者の中では常識だという気はするけれど)、大いに期待しながら読んだが、結局この論文では図式しかなかった。 ジェンダーにしても、たとえばショーウォルターの『心を病む女たち』のような研究の所期の威勢が良い一般化は、到底史実に合わないことが明らかになっている。 民族・人種についても同じような状況だろう。 問題は、「一般化はできない」ということを結論に持ってくる論文ばかりが、この15年書かれ続けていることだ。