治療法に診断をあわせることとカーディアゾル療法

 メドゥーナが開発したカーディアゾル・ショックを緻密に研究した論文を読む。文献は McCrae, Niall, “‘A Violent Thunderstorm’: Cardiazol Treatment in British Mental Hospitals”, History of Psychiatry, 17(2006), 67-90.

 カーディアゾル・ショックはハンガリーの精神科医、メドゥーナが1934年にその原型を発見した治療法である。精神分裂病てんかんが対立的な病気であるという前提に基づいて、分裂病患者にてんかん状の発作を起こさせれば分裂病が治るだろうという見込みのもとに実験を行った。当初は樟脳を使っていたが、後にカーディアゾルに変えて、急速に普及した。インシュリンショックや電気痙攣、ロボトミーなどと併用されて各国で広く用いられた。

 この論文は、イギリスのカーディアゾル・ショックについての standard citation work になるだろう。読んだ資料は当時の医学論文だけといってもよいが、おそらく網羅的に集められていて、文献表だけで4ページを超える。その内容を的確にまとめ、発見-受容-疑問-衰退の過程を分かりやすく論じている。筆者はおそらく精神科医だが、ベリオスたちが得意とする手法とスタイルのお手本のような仕事である。

 随処に精神医療の現場を知っている研究者ならではの鋭い指摘もちりばめられている。特に面白いのが、カーディアゾルが分裂病の理解、特にその症状の解釈を変えたということである。簡単にいうと、医者たちはカーディアゾルに反応するような症状(おもにうつ状態)を示している患者を選び、その症状を分裂病のそれとして同定することで、分裂病の理解を変えていった。ある医者は、カーディアゾルなどのショック療法に反応するかどうかで分裂病の下位分類を再構築しようとしたという。診断に合わせて治療法が決まるのではなく、治療法が診断を形成してしまった例の一つだろう。そして、歴史の研究者にとって、過去の診断・病名に依存して研究を設計してしまうことの危険を教えてくれる。私も頭では分かっているつもりだが、この論文を読んで、数年前の自分の仕事でこの間違いをもろに犯してしまったことに気づいて、臍をかんだ。