アルコールせん妄とE.A.ポオ

 新着雑誌から。フィラデルフィアの医者たちによる「アルコールせん妄」 delirium tremens の診断が、どのような社会的背景で広まったかを論じた論文を読む。文献はOsborn, Matthew Warner, “Diseased Imaginations: Constructing Delirium Tremens in Philadelphia, 1813-1832”, Social History of Medicine, 19(2006), 191-208. この論文は、医療の社会史の新人賞にあたる、Roy Porter Student Prize を受賞している。

 アルコールせん妄 delirium tremens という病名(診断)は1813年に医学雑誌や単行本で初めて使われた。その診断が、フィラデルフィアの医者たちによって使われた背景に、都市化にともなう貧困を憂慮する中産階級の関心があり、アルコールの常用がアメリカ社会の根本原理であるとみなされた個人の自由意志の行使を妨げるという意識があることを論じている。

 この論文の最大の魅力は、アルコールせん妄の症状、特にその幻覚が、当時の文学や芸術に大きな影響を与えたことを論じた部分であろう。コアになっている素材は、才気煥発のブロガーのJenny さんがお好きなエドガー・アラン・ポーの作品で、映画化もされている短編 「メッツェンガースタイン」”Metzengerstein” である。(私はこの作品を読んでいないけど。)1832年にフィラデルフィアの新聞に掲載されたこの作品には、ポー個人が経験した心的現象ではなく、当時のフィラデルフィアの医者たちが問題にしていた症状が素材となって現れているという。この論文ではそこまで踏み込んで論じてはいないが、これはロマン主義的な、厳格に個人的なものとして憧れの対象となった「幻覚」も、医学的な症例記録が開拓したものだという逆説を示しているのだろうかという方向を示唆している。

 なお、ポオの Metzengersteinは、私は読んだことはないが、ボードレールも訳しているらしい。さらに、私は飲んだことはないが、delirium tremens という名前の有名なベルギーのビールもあって愛飲家も多いらしい。このビールを造っている会社のHPに行くと、ピンクの象がマウスの軌跡に絡みつくのが、DTの症状をサニタイズして宣伝しよういう魂胆が見え透いてあざとい。

http://www.delirium.be/ 

Jenny さんのポオの記事はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/nietzsche_rimbaud/40105800.html
http://blogs.yahoo.co.jp/nietzsche_rimbaud/10304209.html