精神病院の疾病地理学の論文を読む。20年この分野を研究していて、自分が全く知らなかった「法則」があったことに愕然とする。文献はPhilo, Chris, “Journey to Asylum: A Medical-Geographical Idea in Historical Context”, Journal of Historical Geography, 21(1995), 148-168. 著者は近年注目を集めている疾病地理学者で、何回かこのブログでも取り上げた。
同業者の皆さん、例えば慶應のK先生、愛知のH先生、ロンドンの MEさん、京都のOさんなどなどにお伺いしたいのですが、「ジャーヴィスの法則 Jarvis’s Law 」って聞いたことがありますか? 病院の利用は、病院との距離が小さいほど多く、距離が大きくなるほど少なくなるという法則だそうである。この現象自体は、それほど驚くようなことではないし、第三世界の医療経済学の論文か何かで論じられているのを聞いたことはある。しかし、それが「法則」の扱いを受けて、しかも名前までついているとは知らなかった。(「知らないのはお前だけだ」という厳しいご意見がありましたら、どうか遠慮なくおっしゃってください。) それも、このJarvis というのは、有名な19世紀のアメリカの精神医学者のEdward Jarvis である。彼が1850年に出版した「精神病院への距離が人々の病院利用に与える影響について」という論文で、距離の増大によって利用が減少する(これを地理学の用語では distance-decay というらしい)ことに初めて着目したので、医療地理学者たちは、この現象を Jarvis’s Law と読んでいるのだそうだ。いやはや。全く知りませんでした。
・・という、ちょっとしたショックを受ける論文だったのだけど、内容はこの著者の他の仕事と同じようにとても面白かった。ジャーヴィスがこの現象を「法則」とした背後には、広大な土地に集落が点在するアメリカで、州に一つの巨大精神病院を中心にした精神医療行政を行うことの不合理を指摘しようとする意図があったこと。州ごとに精神病院が張り巡らされたイギリスにおいては、ジャーヴィスの法則はほとんど作用せずに、むしろこれに露骨に反する現象が見られるという。ファイロが挙げているのは、金持ちは患者をできるだけ遠くに送り、中小都市は貧民患者をより安く引き取ってくれるロンドンの私立収容院に送るという事例である。
精神病院のキャッチメントがどのくらいなのか、それがどう変わったのかということには前から興味があったけど、この論文で新しい展望が開けてきた。