初期梅毒論


未読山の中から、前に一度読んだごく初期の梅毒論の英訳があった。何かの理由でもう一度読もうと思ったのだろう。昔の医学論文を読むのは楽しいので、喜んで読み直す。文献はGruenpeck, Joseph, “Joseph Gruenpeck and His Neat Treatise (1496) on the French Evil: A Translation with a Biographical Note”, by Merrill Moore and Harry C. Solomon, British Journal of Venereal Diseases, 11(1935), 1-27.

1495年にナポリを攻囲していたフランス国王の軍隊で爆発的に流行した梅毒は、すみやかにヨーロッパに広まった。その翌年にグリューンペックの梅毒論が出ている。当時の流行病を説明する時の書物の常として、占星術が書物の大半をしめる。土星と木星の<合>などによって大気を腐敗させ病気の流行に好適な環境が作られたという話である。あとはガレニズムの体液論と、何を食べろ、何を飲むなという養生法の長い指示。予防法のところで flight が進められていた。街から逃げ出すより人を避けろということらしい。

面白い画像があったのでアップ。神聖ローマ皇帝マクシミリアンが聖母マリアにとりなしを頼んで、梅毒にかかっても、祈りを捧げた人にはキリストが治療光線で治してくれるというものである。祈らないものは、前景でくたばっている。