免疫学のメタファー

 未読山の中から、現代の免疫学が用いるメタファーを分析したカルチュラル・スタディーズの論文を読む。文献は Martin, Emily, “Toward an Anthropology of Immunology: The Body as Nation State”, Medical Anthropology Quarterly, new series, 4(1990), 410-426. この著者の書物は一冊翻訳されていて(『免疫複合 流動化する身体と社会』)、それを読んだ時は面白いとは思ったけれども、こんなに明晰な論客だとは。スピードのために翻訳があるとつい読んでしまうことが多いけれども、特に研究書の場合は時間の無駄になることの方が多い。

 マーティンは、医療人類学者としてホプキンズの免疫学研究室でフィールドワークをする一方で、一般向けの免疫学を解説した書物や雑誌記事などを集めて分析している。当時はエイズの流行の影響で、一般向けに出版された免疫学のマテリアルが多かったのだろう。(いつも不思議なのだけれども、この人たちはなぜ「数える」ということをしないのだろう?)これらの一般に流通する科学的な言説が、どのようなメタファーを用いて免疫を説明しているかを分析したのがこの論文である。

 免疫系は、自己と他者を区別して、体内に侵入した他者についての情報を伝達しあって働く複雑なシステムである、そこでは、系の各部は連携しあい、警察的なシステムを作り出して人体が防衛されている。人体は一つのボディ・ポリティックとしてイメージされ、異物を抹殺するという行為が日常的に起きているかのような語彙で説明されているという。この人体のイメージは、情報の伝達によって結ばれている一つの境界を持った社会であり、ここには国民国家のイメージが共鳴する。しかしこの国家の構成員は厳密に平等というわけではない。これは免疫システムの中の食細胞とT細胞の「分業」のジェンダー化された理解の仕方に現れているという。食細胞は原始的な細胞で、異物を自らのうちに取り込むという「女性的な」働きをし、体内のゴミ掃除的な仕事をしていると理解される。一方でT細胞は、進化の後の段階で現れた細胞で、異物に孔をあけて毒素を注入するという「男性的な」働きをし、情報的に高度で複雑な仕事をするという。ここには女性的な食細胞と男性的なT細胞というイメージの対比がくっきりと現れている。食細胞が二本の足(偽足)を広げてその間に異物を受け入れるプロセスは vagina にちなんで invagination という言葉で呼ばれているそうだ。

 この手のいわゆるカルスタ系の分析を、手が込んだ冗談とみなすか、重要な洞察を含んでいるとみなすかというのは、医学史の研究者の中でも意見が分かれている。前にも書いたと思うけれども、<こういう手法があることを知っておくのはマイナスにはならない>というスタンスを私は取っている。こういう手法で考えると大事なことが分かるマテリアルに出会う日が来るかもしれない。一度だけだが、私自身もこのような手法で一本の論文を書いたことがある。

 無駄な冗談を一つだけ。低人さんが少し前に「大阪の街で売られている裸と裸のぶつかりあいの写真」について書かれていたが、東京の白金のあたりで、なぜか関西弁で「あんさん、大股開きでナニをむさぼる女の写真やでぇ~」と声を掛けられて買った袋綴じ写真を開けてみると、食細胞の顕微鏡写真だったという経験がある人がいたら、教えてくださいな。 ・・・いるわけないか(笑)。