『変態の時代』

 必要があって未読山の中から大正から昭和の<変態研究>を論じた歴史書を読む。文献は菅野聡美『<変態>の時代』(講談社現代新書、2005)。

 <変態>という言葉が、最初は広く「異常・特殊」という程度の意味から、変態性欲を意味する言葉へと変遷していく過程をたどり、そして猟奇趣味・エログロナンセンスに傾斜した変態研究が、昭和戦前期の総力戦体制の中で弾圧されていく過程が論じられている。新書ということもあるのか、使われている枠組みは明示的には記されていないが、反体制的な志向なり色あいなりを持つ変態研究と、それを抑圧する体制側の力学というのが大きな枠だと思う。この枠組み自体は非常に古いものだが、しかしリベラルな変態科学vs 体制の抑圧という単純な図式ばかりではなく、発禁を逆用してむしろそれを利用した梅原北明という出版者・物書きについての記述はとても面白かった。この書物の魅力は何よりも変態研究の広がりと華麗さを示したことである。『変態心理』や『変態性欲』などにかかわった中村古峡や田中香涯と言った比較的マイナーな人々だけではなく、南方熊楠宮武外骨江戸川乱歩などのスターを惜しみなく登場させ、情報量がとても多い、読んで楽しい本だった。 

 本書の著者は医学史家ではないから、医学史研究でこの問題が扱われる時に定番になっているいくつかの概念装置は一切使っていない。その一つが「正常と異常・病理」の概念である。この概念はカンギレームの名著があって、20世紀の医学史を論ずるときの中心概念の一つである。先日ふれたミケーリのモダニズムと精神医学の論集でも触れられていたが、計量化できない異常心理の内容を記述する質的な研究と、計量化を旨とする量的な研究の対立という概念装置がある。前者はモダニズムに親和性を示し、後者は実証主義を標榜していた。そのあたりが、医学史の視点から変態研究の歴史を豊かにする一つの可能性だろう。