第二次大戦中の精神病院

 必要があって、第二次大戦中の精神病院の医者、患者、看護士などの証言を集めた貴重な書物を読む。文献は、塚崎直樹『声なき虐殺』(東京:BOC出版部、1983)

 昭和19年と20年は、日本中の精神病院で患者がなぎ倒されていった悪夢の二年間であった。精神病院の死亡率の計算は、何を基数とするかちょっと難しい部分もあるだろうが、東京の松沢病院を例にとると、昭和19年には年頭在院が956人、年間の新規入院が384人、年間の死者が418人だから、死亡率は1000中312. 昭和20年にはこの数字はさらに上がって409 になる。昭和11年には55パーミル、18年でも136パーミルだった死亡率がここまで上がった最大の理由は、もちろん食糧難である。この文献に納められている証言はいずれもすさまじい食糧難と、なすすべもなく患者が死んでいくありさまを描いている。その記述はヴィヴィッドで、現在でも戦慄と呼んでいいものを引き起こす。私自身は、この手の証言を生のまま使う歴史学の手法とは距離をおいているが、注意して使えばとても貴重である。

 しかし話は食糧難だけではすまない。単純な比較はできないけれども、一般国民の死亡率が昭和18年から19年にかけて2倍になり、20年には3倍になったということはありえない。(調べていないけれども・・・) いったい<なぜ>、精神病院の患者たちは、食糧難の影響を、一般国民よりもはるかに強い形で受けたのだろうか? 精神病院という小社会のどんな特徴が、飢饉に対して脆弱な社会にしていたのだろうか? 第一次世界大戦中のドイツでは、食糧難のため似たような患者の大量死が起きた。第二次大戦の時には患者の「安楽死」が起きて6万人の患者がガス室などで殺された。これらは、実はある脆弱性が表現を変えて現れたものではないだろうか? 昭和19・20年の「悪夢の年」は、食糧難という異常事態が、それ以前にも潜在的にあった脆弱性を明るみに出したものだと考えられないだろうか・・・

 また研究のことを書いてしまった・・・(笑)