ゾラ『ナナ』



 久しぶりにエミール・ゾラの『ナナ』を読む。文献は、エミール・ゾラ『ナナ』川口篤・古賀照一訳(東京:新潮文庫、2006)

 ゾラは医学史の研究者に良く読まれている作家である。彼の作品が、遺伝とか退化とか変質といった、19世紀後半から20世紀の社会にとって非常に重要だった医学的・生物学的な概念を正面から取り上げていて、しかもその概念が面白い仕方で作品の中で生かされているからである。その中でも『ナナ』は特に有名な小説で、アルコール中毒の父親から生まれた主人公が、淫蕩な肉体を武器にしてパリの高級娼婦にのし上がり、無数の男に莫大な金を貢がせて破滅させては、良心の痛みなど一切感じずに捨てていく物語である。

 今回読み直して一番印象に残った場面は、変質学説が正面から語られる箇所である。ここは、単に医学的な説明がされている面白いというだけではなく、作品の最大の見せ場の一つであると同時に、変質学説とその対象についての何か深い洞察が込められてる。

 その場面というのは、だいたいこんな場面である。 ナナを誹謗する記事が彼女の友人によって書かれて新聞に掲載される。その記事は、男を破滅させ社会を腐敗させる存在としてのナナをえぐりだして批判した記事で、その中ではナナは、美貌で豊満な肉体を道具に使って、下層階級の遺伝的な変質と腐敗を、貴族と社会全体に伝染させ死の使者として描かれていた。 その記事を、ナナの肉体の誘惑に屈した貴族の男が、ナナの部屋で読んでいる。 そして、いちいちその記事の的確さに納得し、まさに自分がこの女のために破滅への道をひた走っていることを悟って戦慄し愕然とする。 一方ナナは、男にその記事を読ませながら、鏡の前で全裸になって、自分の体に見惚れている。腰の上のほくろを調べ、エジプトのダンサーのように踊ってその肉の震えを鏡の中に映し、自らの手で全身を愛撫して、自分の腋の下に接吻して鏡の中で接吻している自分に向かって微笑みかける。

 一方でナナを的確に記述した医学的な言説があり、それが読まれている同じ場所・同じ瞬間で、ナナは自分の姿を映し出す鏡の映像に陶酔し、自分の肉体を見て、それに触れるという視覚的・触覚的マスターベーションにふけっている。 朧月夜さんがお好きな鏡像の話ではないが(笑)、このシーンは<二つのナナ>と戦慄と陶酔が並べて置かれている手が込んだ演出である。

 画像は、マネの「ナナ」と、時代は違うけれどもティティアーノのフローラ。 モデルはヴェニスの高級娼婦だと言われている。 「ナナ」の表紙を選ぶというと、やっぱりこの二つが双璧かなあ・・・