素因論と細菌学

必要があって、ダーウィンの影響のもと新たに注目を浴びた<素因>の概念が、細菌学とどのように関係したかという大問題をエレガントに扱った小論文を読む。文献は、Bynum, W.F., “Darwin and the Doctors: Evolution, Diathesis, and Germs in 19th-Century Britain”, Gesnerus, 40(1983), 43-53. 著者は80年代から90年代にかけてウェルカム医学史研究所の所長を務めていた碩学である。この研究所は、絶頂期であったにもかかわらず、不祥事があって三年後には閉鎖されることが決まっている。大きな事件を経験した後の私にはいつものことだけれども、その事実が、なかなか呑み込めない。

ダーウィンと同時代の医学の関係と言うのは、意外に限られたものである。麻酔、公衆衛生、細胞病理学、殺菌消毒など、同時代の医学界の大ニュースについて、ダーウィンは手紙などでもあまり書いていない。クリクトン=ブラウンに頼んで精神病院の患者の写真を手に入れて人間と動物の表情を研究しようとしたことが、医学との大きな接点である。しかし、ダーウィン自身の興味の中心がもちろん遺伝にあり、ヴィクトリア時代の家庭で遺伝する病気を説明するための「素因」diathesis の概念は遺伝と密接な関係にあったので、ダーウィンの進化論は、当時の病理学の根本に影響を与えた。

素因の概念は、医学の中で長い歴史を持つ反証不可能なものである。だれかが病気Xへの素因を持つと言ったときに、その病気にかかると素因が立証されるし、かからないと、養生などによって予防できたといって説明できる。素因によって説明された病気は、結核、痛風、ヒステリーなどであった。素因は環境によって変化するので、18世紀には「奢侈」、19世紀には「文明」と呼ばれたものの結果、ある種の病気、新しい病気が増えているというのが、当時の医者たちが観察して信じていたことであった。(この一つのヴァージョンが変質論。)素因と原因の組み合わせは、当時登場していた細菌学と結びついて病気の特殊性を説明しようという試みを支えた。

細菌学の登場と素因説の関係はもちろん複雑である。19世紀末の細菌学のユーフォリアな時代は別にして、20世紀の前半には、たとえば結核やハンセン病のような感染症についても、細菌説が遺伝説を駆逐したと単純に信じている医学者は、おそらくほとんどいなかっただろう。

( )の中にいれた、(この一つのヴァージョンが変質論)というような重要なことを、何気なく鋭くいうのがおしゃれだと思っている男で、実際、毎日蝶ネクタイをしめていたおしゃれなテキサス人なんだけど(笑)