フンク『ヴィタミン』



Funk, Casimir, The Vitamines, authorized translation from Second German Edition by Harry E. Dubin (Baltimore: Williams &Wilkins Company, 1922).
現代では「ビタミン欠乏症」として理解されている脚気や壊血病は、ながいこと独立した病気としてその存在を認識されていた。それぞれについて、麦や小豆、あるいは新鮮な野菜や果物やレモン果汁などの治療法も知られており、18世紀から19世紀の末にかけて、リンド、高木兼寛、アイクマンなど、洗練された方法で研究されていた。しかし、ごく微量の物質の欠乏により欠乏症になるという病気の概念は、他の病気の概念とあまりに異なっているし、19世紀の末の細菌学の考えでは、ごく少量の「生きた」病原体が体内で増殖するという、むしろ逆の疾病モデルで疾病を理解していた。脚気について細菌説を唱えた東大や陸軍の医師たちが愚弄されることがあり、この愚弄の一部は当たっているが、欠乏症概念が確立するには、科学的な説得力がある説明が必要であった。

その説明をもたらしたのが、20世紀の初頭から脚気などに適用された、動物実験と化学的な分析による実験であった。ノルウェイの細菌学者、アクセル・ホルスト(1860-1931)が1907年に動物実験の方法を適用し、1912年にはケンブリッジの生理学者のF.D. ホプキンズ(1861-1947)が、ネズミに当時理解されていた必要栄養素だけを与えても順調に成長しないが、ごく微量のミルクを加えると成長することを示した。この、コントロールされた動物実験によって、「付属的食餌要因」の考え方が確立した。同年に、ポーランド系のカシミール・フンク(1884-1967)が、「ヴィタ・アミン」という言葉を作り、それらの欠乏こそが一群の病気の原因であるという説を提出した。

このフンクの書物は、動物におけるビタミン欠乏症を、厳密な動物実験によって証明し、それを人間の病気に適用した書物である。脚気については、ベルツが取った日本人の患者も使われていた。