「細菌学革命」は存在したか

必要があって、「細菌学革命」という概念を批判的に検討した論文を読む。文献は、Worboys, Michael, “Was There a Bacteriological Revolution in Late Nineteenth-Century Medicine?”, Studies in the History and Philosophy of Biology and Biomedical Science, 38(2007), 20-42.

最近の歴史学では「革命」という概念が「すたれて」きて、何かが急にぱっと変わるという発想が流行しなくなっている。経済史では「産業革命」がその代表で、最近では「工業化」というそうだ。医学史には研究者によって「革命」と呼ばれているものがあまりないが、そのインパクトは急激で根本的だっただろうと考えられているものが、1880年代からの細菌学のインパクトである。病気の概念を変え、治療と予防の方法を大きく変えたものだけに、医学史でもし「革命」と呼んでいいものがあるとしたら、それは細菌学革命になるだろう。この論文は、イギリスにおいて、「細菌学革命」と呼べるものが起きたか、具体的に言うと、病原体が発見されたか、医学的な知識が還元主義的・感染説的になったか、実験室の方法の権威が上昇したか、免疫学的な方法が導入され成功したか、という四点について、それが急激に起きたかということを検証している。調べる病気は、梅毒、淋病、ハンセン、狂犬病である。結論を先にいうと、イギリスでは「細菌学革命」が起きたかという証拠はないとのこと。

色々な意味で不思議な論文だった。まず、医学史の研究者たちが「細菌学革命」と概念化して呼んでいるわけではないので、著者が自分で「細菌学革命」を定義して、その定義にあてはまる現象が起きていないという手続きになっていること。私たちが信じていたことが否定されたというよりも、もともとなんとなく使っていた言葉に、厳密に定義すればそういう意味かなという窮屈な意味が与えられて、それをイギリスの事例は満たさないと議論されていること。もうひとつが、著者も書いていることだが、細菌学研究の最先端を走っていたドイツ・フランスではなく、自国の大きな業績が少なかったイギリスにおいて、著者がいうところの厳密に定義された細菌学革命が起きなかったことを調べて、どのような意味があるんだろうか、という疑問である。医学の実験室がもともと限定的だった国で、実験室の方法が急激に勝利しなかったという結果が出てくるのは、あたり前じゃないだろうか、という素朴な疑問を持った。いや、もっと言えば、細菌学革命が一番希薄な国はどこだったかと聞かれれば、誰もがイギリスともともと答えるにちがいなくて、この論文は何を否定したんだろうかという印象を持った。

否定的なことを書いたけれども、著者は実力者だから鋭い洞察は満載で、その中でも、特に、ハンセン病についての議論が面白かった。ハンセン病というのは、ヨーロッパにとっては圧倒的に植民地の問題であった。1890年代には97年のベルリン会議のようにハンセン病の感染が国際的に確認された流れもあったけれども、ダミアン神父調査会(そんな委員会があったんだ)が疫学的な情報などを集めて分析した結果、感染は起きるけれども、それはまれであり、また、小さな要因にすぎないという結論が出された。ハンセン病を減少させるのは「文明の進歩」であって、還元主義的な視点から行われる対人的な方法ではなかった。植民地行政は、隔離などについての規則を定めたけれども、これらは強制力を持たず、資金も少なかっただけでなく、都市化や移民、環境の悪化という、植民地が直面していた大きな現象の一部として取り組まれていたと考えたほうがいいという。なるほど。