イギリスのニュー・レフト史学の古典的な書物の訳書をいただいたので、序章だけ読む。文献は、ステッドマン=ジョーンズ『階級という言語―イングランド労働者階級の政治社会史1832-1982』長谷川貴彦訳(東京:刀水書房、2010)内容要約というより、無駄話です。
歴史学の他の分野・領域と同じように、医学史にも「言語論的転換」の研究フェーズがあった。これは、流行に従ったということもあるが、それ以上に、新しい史料を使って新しい問いを立てるようになったことが大きい。これまで偉い医者が書いた本を読んでいればよかった医学史研究者が、1980年代以降に、それとは違うさまざまなジャンルの資料を使い始めたときに、その読み方・解釈の仕方を考える中で、その資料が用いている言語の問題に敏感にならざるをえなかった。その時期に、私も色々と医学資料の言語の問題を考えて、歴史学の他の分野の言語論的転回に著作にインスピレーションを求めたので、この書物は懐かしい。
当時の私の「言語」という考え方は、患者と医者の一対一の間で成立したコミュニケーションにおける言語という狭いものだったから、ステッドマン=ジョーンズのような広い視点はピンとこなかった。階級の問題も、イギリスの事例を見ていたから付き合っていたけれども、正直、それほど関心があるわけではなかった。むしろ、社会的なカテゴリーと言語の関係に興味があった。今にして読みなおすと、そうか、こういう広げ方があったんだなあと思う。次の仕事では、「言語」の概念を「カルテに表記されている言語とそれを使った物語」に限定しないで、もっと広く捉えてみよう。あまり論理的な説明の仕方ではないけれども、<「社会的なるもの」が、言語の外部にあるか、時系列的に言語による表出に先立つという考え方に批判的になった。>という一節を読んで、ふっと展望が開けたような気がした。
というわけで、新しい展望を開くチャンスをくださって、長谷川さん、ありがとうございました。