結核の文学の歴史の最新作を読む。文献は、Lawlor, Clark, Consumption and Literature: the Making of the Romantic Disease (New York: Palgrave Macmillan, 2006).
結核の文学は、スーザン・ソンタグの有名な著作『隠喩としての病』でも取り上げられているし、日本では福田真人が研究しているように、直接に文学の主題となり(『魔の山』)、結核で若くして死んだ文学上のスターが綺羅星のように揃っている。医学史の研究者にとっても文学史の研究者にとっても、無視することが難しい主題である。しかし、その一方で、時代も違うしジャンルが違う資料に、結核という事実だけで一つのまとまりを与えるわけだから、どんな構造で論じるのか、そこできちんと頭を使わないと、下手をするとエピソードの羅列になる。
その問題を、この書物はとても上手に処理している。病気についてのナラティヴの概念をゆるく使って、病気についての物語を作り上げることは自己の立ち位置を決めることであり、そうすると、文学作品や病気についての記録の中に、文学者の自己の問題を見ることができるだろうという、フレキシブルな仕掛けを作っている。この仕掛けがあると、ある生物学的な特徴を持ち、ある文化的な神話にも取り囲まれている結核に対する自己のありかたという、すっきりとした問題にすることができる。このシンプルでエレガントな枠組みを作った後は、ある時代が共有している結核についてのパラダイムがどうなっているかを分析し、キーツのような巨人に新しい光をあて、『クラリッサ』を結核で読むというところでは分析の冴えを見せ、いくらでもいる、マイナーな結核文学者たちについての緻密な研究を添える。 18世紀から19世紀のイギリスにおける結核と文学について、むこう数十年は読み継がれるスタンダードな研究書になっている。