痛みのポルノグラフィ

必要があって、痛みの文化史の視点から「痛みのポルノグラフィ」を論じた論文を読む。文献は、Halttunen, Karen, “Humanitarianism and the Pornography of Pain in Anglo-American Culture”, American Historical Review, 100(1995), 303-334. 

筆者が「痛みのポルノグラフィ」と読んでいるものの形成を論じた議論。他人の痛みに嫌悪感を示し、それを取り除くべき悪であると考える「人道主義」と呼べる態度の裏返しとして、痛みというタブーをことさらに顕示してわいせつな扇情を目的とするものである。

近代初頭に表れた人道主義(とは名乗らなかったが)が「痛みに反対する」というスタンスを取ったが、これは、近現代社会を貫通して流れる重要な特徴となった。かつては、痛みは人生に必ず随伴するものであり、それを耐えることは人間らしく人生を生きるために当たり前のように期待されている美徳であった。キリスト教においては、痛みは贖罪の重要な手段であり、痛みを受けることはキリストのまねびであった。

こういった伝統文化から、ゆっくりと時間をかけて、痛みに対する不寛容、特に他者の痛みに対する不寛容が、美徳の証へと変わっていく。この背景には、ロックの感覚論哲学やアダム・スミスらの道徳感情論の思想上の動きもあり、「文明化の過程」と呼ばれる、むき出しの身体性に対して距離をとることが文明の証であるという、社会的な傾向もあった。他人の苦しみを見てその痛みに共感して涙することができる男が、文明化された道徳を持ち、18世紀のヒーローであり、彼を主人公にした小説 Man of feeling は世紀のベストセラーであった。(ちなみに、この小説は、英文学の年表に挙げられている作品の中で群を抜いて駄作である。)

このあたりは、啓蒙主義の教科書に必ず書いてあることである。この論文のキモは、この人道主義の文化が痛みとそれを見ることをタブーとしたので、そのタブーをことさらに侵犯してそれを観せる「痛みのポルノグラフィ」が発生したという着想である。痛みのポルノグラフィは、18-19世紀の人道主義が攻撃したもの―たとえば奴隷制の廃止、公開の身体刑の廃止、医学史で言えば麻酔の導入など―の裏返しであった。加虐の見世物は、人道主義に批判されながら、その鏡像としての加虐と被虐のポルノグラフィを生んだ。人道主義の発展にともなって、痛みのポルノグラフィは、ある意味で必然的に発展したのであるということだろうか。