パヴロフの精神医学

 パヴロフの心理学・精神医学関係の論文を集めて英訳した便利な本を読む。文献は、Pavlov, Ivan, P., Psychopathology and Psychiatry, with a new in-troduction by George Windholz (New Brunswick: Transaction Publishers, 1994). 岩波文庫のパブロフの本の一番最後の23講(注1)でスケッチされている、「動物で得られたデータへの人間への応用」に関連する論文などが集められている本である。

 犬の条件反射の実験で有名なパヴロフは、条件反射の実験を始める以前から既に、動物の行動の観察を、人間の心理学・精神医学に応用しようという計画を持っていた。ロシア・ソ連で第一号のノーベル賞受賞者として、ボルシェヴィキの愛国的な科学研究助成を受け、研究者としての自由と特権を享受して大規模なプロジェクトが行えるようになると、パヴロフは精神医学者と協力して、精神病の条件反射のモデルに基づいた研究を始める。

 動物の<行動>がモデルであって、動物の<心の中>に入っていってそれと共感するような方法論は、冒頭ではっきりと退けられている。観察でき、できれば測定できる行動の変化に基づいて精神病や神経症を理解しようとするものだから、妄想や不安の中身に立ち入った分析は全くない。 行動主義的な精神医学と言ってもいい。 不安、暗示、引きこもりといった現象を、刺激に対する興奮と抑制のバランスのメカニズムで説明しようとしているものである。 

 特に有名で、パブロフ自身に大きな影響を与えたのが、洪水のエピソード。 洪水があって、条件反射を形成した犬を飼っていた実験室が水浸しになった。この事件は犬たちに大きな影響を与えて、犬たちは不安を示す行動を取り、形成された条件反射が消失した犬もいた。 大災害のあとの行動異常、今の言葉で言うとPTSDが犬に観察されたのである。 
 

注1 パヴロフ『大脳半球の働きについて-条件反射学』上・下、川村浩訳(東京:岩波書店、1975)下巻 207-227.