ハンブルクの食品衛生

 必要があって、ハンブルクのコレラを論じた大著の、食品衛生を論じた箇所を読み直す。文献は、Evans, Richard, Death in Hamburg: Society and Politics in the Cholera Years (Harmondsworth: Penguin, 2005)

19世紀のハンブルクの繁栄は、都市の食生活を大きく変貌させた。市民たちには当時の基準の美味と贅沢が供されていた。たっぷりの脂肪がのった肉、肉汁で茹でた野菜にニシンにボヘミアのキジ肉。ワインとミルクをかけてからつぶして食べるイチゴ。しかし、これらの美食をほしいままにできたのは一部の富裕層であり、一般の人々、特に労働者の食事の水準が上がったかどうかは疑わしいとエヴァンスは言う。確かに、平均で見ると、19世紀のハンブルクやドイツの栄養状態は、改善したか、少なくとも悪化はしなかったように見える。しかし「平均」というのは常に注意して使わなければならない指標であり、エヴァンスは社会の下層の食生活はむしろ悪化したのではないかと示唆している。

「悪化」と言っても、カロリー摂取量とかタンパク質の摂取量だとか、計量できるものを問題にしているのではない。(19世紀の労働者階級のタンパク質摂取量を測ることを可能にする資料なんてあるのだろうか?)エヴァンスが問題にしているのは質の低下であり、特に食品への不純物の混入である。大都市の成立とともに、食物の生産地と消費地の距離が増大し、間に介在する業者が増える。これを背景にして激しい価格競争が起きる一方で、食品の質を保証する政府の食品衛生政策が機能していない状況では、食品にあらゆる不純物が混ぜられて水増しされるのは容易に予想できる成り行きである。1870年代にドイツ各地で行われた調査によれば、パンには石膏やチョークが混ぜられ、卵ヌードルには黄色にするためのピクリン酸と尿が混ぜられた。(今でも、エクストラバージンのオリーブオイルには緑色を濃くするためにオリーブの葉が混ぜられていると利いたことがあるが、本当だろうか)コーヒーには、焼いたとうもろこし、チコリ、砂が混ぜられた。ビールやワインにはあらゆる不純物が混ぜられて水増しされ、ビスマルクは、当時のドイツの酒類について、「いま売られている液体と、通常ビールやワインだと認められるものの間には、何の関係もない」と嘆いた。また、不純物を混ぜるという意図的な行為でなくとも、生産と消費の間の長く複雑な流通は、偶然に、または不注意から、食物が汚染される可能性が高まった。1894年のミルク販売についての法律は、ミルクに蓋をして輸送することを義務付けなかったので、輸送中のミルクを犬がぴちゃぴちゃと飲んだり、泥が入ったりすることがあったという。

言われてみれば当たり前で、資料を読めば普通に書いてあることだ。それを歴史の現象として切り出して意味を与える手際はさすがである。都市化が進展し、食糧消費が資本主義に組み込まれることで、美食をほしいままにできる富裕層も生まれる一方で、質が低下した食品を取ることを強いられた人々も多かった。 シンプルな表現だけれども、的確である。  

しばらく前に追加された機能で、記事をアップすると自分と似たような話題を扱っているブログ記事を探してくれるものがあって、結構楽しみにしている。 今日は、ミートホープとか赤福とかの記事に当たるだろうな・・・と思っていたら、「7日間ダイエット」ばかりでした。