ロンドンのペスト

必要があって、ロンドンの1665年のペストの最新の研究書を読む。文献は、Moote, A. Lloyd and Dorothy C. Moote, The Great Plague: the Story of London’s Most Deadly Year (Baltimore: The Johns Hopkins University Press, 2004).

16世紀の半ば以降、1665年のペストまでの約100年間に、ロンドンは7回のペストの大流行を経験した。そのたびごとに死亡率は平年の5-7倍に急増して、人口の20%前後の死者が出ている。『ロンドン死亡表』のグラントによれば、ペストが流行すると都市の居住者の4割近くが地方に逃れて疎開したそうだから、街にとどまった人間の半分近くが死んだことになる。それにもかかわらず、ロンドンの人口はこの時代を通じて増え始めた。人口が50万近くだった1665年のペスト流行では、約6万8千人がペストに斃れたと同書は計算している。

有名な日記作者のピープスをはじめ、数多くの日記や手紙の類の記録を発掘し、ロンドンのアーカイヴを丹念に廻って書かれた本書は、大疫病に襲われた街の辛吟が聞こえるような筆致で書かれ、ルポルタージュ風の社会史の傑作である。その中でも面白かったのが “Business as usual” と題された章で、ペストのインパクトを評価する難しさを浮き彫りにしている。高い死亡率と特に富裕な人々の疎開にもかかわらず、流行の絶頂期においても市の経済と日常生活の機能は、破壊されることなく継続していたのである。周辺地域からの食料や物資の輸送は、地方の農民や運送業者たちが、感染を恐れて市の内部に入らなかったにもかかわらず、なんとか確保されていた。教区の公職についているものたちの中には逃げ出したものが多かったにもかかわらず、貧民救済や埋葬などの事務は継続されていた。

有名なボッカッチオの『デカメロン』では、ペストの来襲によって完全な無秩序状態に陥ってしまった14世紀のフィレンツェが描かれているが、あれはどこまで誇張なんだろうか。