ハクスリーのメスカリン

必要があって、オルダス・ハクスリーのメスカリン礼賛を読む。文献は、オルダス・ハクスリー『知覚の扉』河村錠一郎訳(東京:平凡社ライブラリー、1995)

メスカリンという薬物があって、もともとはペヨーテというサボテンの一種などから抽出されてアメリカ先住民の宗教儀礼で用いられていることで知られていたが、19世紀末に有効成分が分離されて20世紀には合成されるようになった。19世紀から20世紀にかけて、アメリカのワイヤー=ミッチェルやウィリアム・ジェームズなどがメスカリンを服用してその効果を報告しているが、これらは孤立した興味本位の報告にとどまっていた。しかし、1950年代になると、メスカリンは俄然脚光を浴び、精神医学・心理学研究の花形になる。それは、LSDとならんで、メスカリンは幻覚などの精神病患者の心理状態を実験的に作り出すことができ、しかも副作用や常習性などがないと(当時は)考えられたからであった。実験的に精神病状態を作り出すことができれば、どの薬が効くのかを実験的に試すことができて、科学的な医学がすでに発達させていた、病気と闘うための洗練された兵器を動員できる。クロルプロマジンはこの文脈のなかで現れた向精神薬であった。デイヴィッド・ヒーリィは、このあたりの事情を、「精神医学が、一夜にして科学的になったかのように見えた」と記述している。

このあたりは精神医学史の教科書に必ず書いてあって、よく教えているから知っていた。ただ、一般的にメスカリンというと、治療や研究ではない目的で利用されてサイケデリックなアーチストやミュージシャンのシンボルになったことのほうが有名だろう。これまで何となく知っていたけれども、こちらの系統のメスカリンの本を読むのは初めて。

イギリスの小説家・評論家で当時はカリフォルニアに移住していたオルダス・ハクスリーが、実験者の立会いのもとで1954年にメスカリンを服用したときの経験をつづった書物。西洋哲学、東洋哲学、そして美術評論を組み合わせたような、すごく面白い書物である。メスカリンを服用したハクスリーが経験したのは、幻覚が見えるとか妄想が現れるとかそういった「症状」ではなかった。「知覚される事物が、それらがあるべき本来の姿において、立ち現れてくる」という、世界が明澄になったような経験であった。ハクスリーはこの経験を説明するのに、我々の脳と精神は、物が持つ強烈な力を減じるようなフィルターにかける作用があって、メスカリンはこのフィルター作用を一時停止させるのだと説明している。そして、過去の一流の芸術家たちは、メスカリンの力を借りずとも「物自体」が持つ力を絵画で伝えることができた天才であるという。さらに論を進めて、ハクスリーは、我々凡人のなかにも、実はその天才的な精神が宿っていて、桎梏から解放され発展させられるのを待っているという。メスカリンに対する態度といい、万人にやどる天才的精神という発想といい、底抜けにオプティミスティックといってもいい。 きっと、このあいだ国立近代美術館で展覧会をやっていたアンリ・ミショーは、全く違うことを言っているんだろうな。 

Wikiをチェックしたら、原文のテキストと、言及されている絵画を掲げているサイトが紹介されていた。この本にもイラストはあるが、全て白黒の絵画を見て、メスカリン服用下における色彩感覚の変化を論じている本を読めと言うのはちょっと無理があるから、カラーのイラストはありがたい。 そこに掲げられている絵画を見れば判るように、「サイケデリック」と言ったときに我々が連想する絵画とは全く違う。ハクスリーが経験した(と思った)のは、知覚や言語の表象を突き抜けた、経験の直接性というか、物自体のオーセンティシティというか、それを感じさせるということだけれども、サイケデリックって、少なくともかなりパターン化された芸術ジャンルを想像してしまう。