戦前日本のコカイン産業

戦前日本のコカイン産業についての研究論文を読む。文献は、Karch, Steven B., “Japan and the Cocaine Industry of South East Asia, 1864-1944”, in Paul Gootenberg, Cocaine: Global History (London: Routledge, 1999).

知らなかったのは私だけかもしれないけれども、かなりショッキングな内容の論文だった。1920年代から30年代、40年代にかけて、台湾や硫黄島・沖縄などで三菱合資会社の出資によってコカが大量に栽培され、それが三共製薬・星製薬をはじめとする日本の大手の製薬会社によってコカインに精製されてインドの闇市場などに売られ、日本の官僚はコカ・コカインの輸入・生産量を偽って国際連盟に報告し、密輸コカインの輸送には海軍の軍艦も使われていたという驚くべき内容である。ジャーナリズトであれば、「国ぐるみの闇コカインの生産・販売」と名づけるところだろう。正直いって、にわかには信じられないし、自国のことだけにどちらかと言えば信じたくない内容だけれども、最近公開された行政文書などに基づいたしっかりした学術論文で、専門家でない私には、証拠の正当性を疑う理由は何一つ見当たらない。

コカはもともと南アメリカに自生する植物で、アジアでのコカの栽培は19世紀にオランダ領のジャワ島で始められた。19世紀末にドイツの化学者たちがコカインを精製する方法を改善し、その麻酔・鎮痛効果ゆえに医学的使用目的のコカ栽培が広まる。オランダはドイツの特許をくすねながら(笑)コカインを生産していたが、次第に生産地に近くより優れたコカの栽培種を用いることができた日本の製薬会社に圧倒されるようになる。1920年代後半のことである。そして1930年代初頭に台湾の砂糖きび栽培が打撃を受けると、コカに切り替えて栽培する業者が現れて、三菱や大手製薬会社の資本が投入され、インドや中国に密輸される、という筋道になっている。 

著者が日本の法律の盲点を指摘していて、それが面白かった。近代日本にとって「反面教師」として重要な役割を果たしたのがアヘン戦争であったことは良く知られていて、幕末の諸外国との条約締結以来、国内においても、後に獲得した植民地においても、日本はアヘンに対しては非常に厳しいスタンスをとっていた。台湾におけるアヘン根絶計画の成功は良く知られている。しかし、そのために、日本ではアヘン吸引者がほとんどおらず、麻薬全般に対する危機意識が低く、アヘン以外の麻薬に対しては法的な処罰もないに等しかったという。