精神科医が書く「歴史」の例に漏れず、章によって出来不出来の差が激しい。自分が実際に経験したことや、経験した問題そのものについては、記述には深みがあることが多い。そうでない時代や主題の記述については、ナイーヴで粗雑で、しかも日本の精神科医で歴史を書きたがる人に特徴的だと思うけれども、先入観に満ちた受け売りとしか形容できない記述が目立つ。その中で、岡田靖雄の一連の仕事は傑出している。
この書物は、残念ながら、ありがちな欠陥を持つ歴史書である。特に、冒頭近くで論じられている、彼の批判の対象である「生活療法」というパラダイムが、ロボトミーと向精神薬の大量処方という悪玉の現象と<因果的に>結びついて現れたという議論は、正しいのかもしれないけれども、いったい何を根拠にそう信じればよいのか、途方にくれる。「精神外科の爪痕は、後療法としての生活療法を必然のものとし」た(本書32ページ)という主張をするには、特に「必然」の一言を加えるのには、どれだけのリサーチと分析が必要なのか、おそらく分かっていない。それどころか、筆者が言及している歴史的な事実、たとえばロボトミーが登場する以前に生活療法が現れていたという事実は、少なくとも十分に吟味されて論じられなければならないのに、その事実の批判的な検討は何もされていない。申し訳ないけれども、こういう書き方は、説得力を弱める効果しかない。