精神病患者の社会復帰

必要があって、精神病患者の社会復帰と作業療法についての本を読む。文献は、浅野弘毅『精神医療論争史 わが国における「社会復帰」論争批判』(東京:批評社、2000)

精神科医が書く「歴史」の例に漏れず、章によって出来不出来の差が激しい。自分が実際に経験したことや、経験した問題そのものについては、記述には深みがあることが多い。そうでない時代や主題の記述については、ナイーヴで粗雑で、しかも日本の精神科医で歴史を書きたがる人に特徴的だと思うけれども、先入観に満ちた受け売りとしか形容できない記述が目立つ。その中で、岡田靖雄の一連の仕事は傑出している。

この書物は、残念ながら、ありがちな欠陥を持つ歴史書である。特に、冒頭近くで論じられている、彼の批判の対象である「生活療法」というパラダイムが、ロボトミー向精神薬の大量処方という悪玉の現象と<因果的に>結びついて現れたという議論は、正しいのかもしれないけれども、いったい何を根拠にそう信じればよいのか、途方にくれる。「精神外科の爪痕は、後療法としての生活療法を必然のものとし」た(本書32ページ)という主張をするには、特に「必然」の一言を加えるのには、どれだけのリサーチと分析が必要なのか、おそらく分かっていない。それどころか、筆者が言及している歴史的な事実、たとえばロボトミーが登場する以前に生活療法が現れていたという事実は、少なくとも十分に吟味されて論じられなければならないのに、その事実の批判的な検討は何もされていない。申し訳ないけれども、こういう書き方は、説得力を弱める効果しかない。

筆者が精神科医になったのは1972年だということで、それ以降の自分の経験に照らして語っている「歴史」は、色々な意味でバイアスはあるのだろうけれども、深みがあるような印象を持つのに対して、筆者が言うところのロボトミーと生活療法の「必然的」結びつき云々の話は、教条的で硬直したロボトミー悪玉説の再生産でしかない。