江副追悼文の中の朝鮮農村衛生調査のエピソード

都立松沢病院医局編『故江副勉先生 追悼記念文集』(非売品、1973

戦後の松沢病院と日本の精神医療の改革を指導した骨太の精神科医である江副勉(1910-71)の追悼記念文集を読む。江副の偉大さがよく分かる文章が集められており、松沢の精神科医たちとの交流の様子もよく伺える。尊敬の念を起こさせる文章の中で、娘と息子が書いている追悼文は例外で、読み手を凍り付かせるような内容である。そこでは、江副にとってまともな家族生活がほぼ不在であり、家族とはすれ違いが続くか、あるいは酔っぱらって大騒ぎをして娘に徹底的に拒絶されるというエピソードが記述されている。それはそれで大きな意味を持つが、ここではそれには触れない。

 

島村喜代治らが昭和11年に朝鮮で行われた農村衛生調査のエピソードを書いている。当時の金で2500円で、1973年当時の換算でいうと250万円くらいになるとのこと。朝鮮では、農民たちと、サバリというドンブリで、メンタイの干物にトウガラシミソをつけてかじりながら飲んで踊ったこと。財布を落として、探しながら夜道を歩いて、あったといってつかむと牛のくそだったこと。終了して岩波から出版して、渋沢が赤坂の料亭で一席設けてくれたこと。「朝鮮学派」は料理を蹴飛ばして、テーブルの上に上がって農民踊りを披露したこと。そこから渋沢家の車にのって、江副が車内で吐いて汚したこと。面白い記述である。

 

 

後の東大教授の秋元が、江副の追悼であるというのに、東大精神科を占拠していた左翼に罵詈雑言を投げかける文章を書いていて、その流れの中で、ロボトミーをした江副と台を弁護する文章を書いている。そういう場所でそういうことを書くことの是非は別にして、秋元のロボトミー論は、恐らく本質的な問題を衝くものであると思う。