渋沢栄一と勘当の話

渋沢栄一 (1840-1931) をご存知の方が多いと思う。私はいま本を書いている東京の精神病院の近くに住んでいた人物である。渋沢は時々その精神病院と関係を持つこともあるから、基礎的な文献である岩波文庫の『雨夜譚』を読んでみた。残念ながら精神病院そのもののことは書いてなかった。『雨夜譚』は幕末から明治維新の後までの自伝であり、私の精神病院の時期は実際には1920年近辺からだからである。
 
しかし、精神病院の利用と深く関係がある、世帯における勘当という概念について面白い記述があった。話としては、一事を起こそうとした渋沢が父親に勘当されることを望み、息子と父親の合意のもとに勘当されるという筋である。
 
彼は農民であったが、倒幕の志士となる。そこで攘夷の志士ともなり、横浜を焼き打ちにして外国人を皆殺しにする暴挙を起こそうとする(笑)その前に、自分の家を出ようとして父親に勘当してもらう場面である。彼は、天下がついに乱れ、農民だから何もしないという安居にはならない。乱世に処する覚悟を持っているという。それに対して父親は、その考えには同意するが、しかしそれは分限を超えて非望な企てをすることになる。それは農民としての身分をわきまえていないという議論である。息子と父親の議論の中で、お互いに孔子孟子を引用されたりするが、結局合意のもと勘当のようなことをする。
 
だからどうしたと笑われそうだけれども、これは面白い行為である。合意のもとで勘当が成立していくことと精神病院に入れること、どこか似ていないだろうか。親に監禁され、これはこれでそうだなと納得する勝小吉と似ていないだろうか。大学の「勘当」に関する本を数冊読んでみよう。ちょっと軽く調べてみます。