『濹東綺譚』と玉ノ井の酌婦の精神病

『濹東綺譚』と玉ノ井の酌婦の精神病

F0002 28才、玉ノ井の酌婦、1944.02.14-04.13, 麻痺性痴呆、未知退院

永井荷風の『濹東綺譚』を悪く言う人に出会ったことがない。昭和12年に発表された作品で、近代化と軍国主義へ進む東京の隅田川の向う岸を舞台にして、初老の物書きが玉ノ井の酌婦に出会い、淡雪のような恋愛遊戯が消えていくありさまを風情豊かに描いた傑作である。私自身も好きな作品の一つである。たまたま、戦前東京の精神病院である王子脳病院・小峰病院の患者で、玉ノ井の酌婦で梅毒由来の精神病となり、脳病院に2か月ほど在院したものがいたので、『濹東綺譚』を読み直してみた。これが、予想に反して、暗澹とした気分になった読書であり、その患者がそのまま『濹東綺譚』から出てきたような印象を持った。荷風がもちろん知り尽くしてはいただろうが、この作品では直接描いてはいない梅毒の陰惨な現実をまざまざと見せつけるような診療録である。

 

F0002向島区寺島町の接客業であり、「玉ノ井の酌婦」と余白に説明のために書いてある。

父没母健在、同胞は三人で第二子。出生地・本籍地は記入なし。現住所は玉ノ井寺島町〇丁目〇番地で、荷風が『濹東綺譚』を設定した場所とほぼ同じである。彼女を病院に連れてきたのは「主人」とあるから、店の主人だろう。彼女の病気は半年前から始まっており、最初のエピソードは昭和18(1943)年の8月末に痙攣が起きて数日間意識不明になったものであり、10月末、12月末にも同様の発作があった。昭和19(1944)年の214日から同様の発作が襲来し、もうろう状態のまま彼女は病院に運ばれた。費用は自費であった。検査の結果、ワッセルマン反応もノンネ=アペルト反応も強陽性で、梅毒性の進行麻痺であると診断された。

 

進行麻痺にはルーティンの治療法が存在し、それがマラリア接種による発熱療法であった。入院して8日目にマラリア原虫が静脈に接種され、226日から40度台の発熱が始まり、これが進行麻痺を治療すると期待された。しかし、F0002に対しては、発熱するばかりで何の効果もなかった。入院時に彼女は非常に重篤な症状であった。顔貌は呆乎・鈍磨の状態であり、歯ぎしりをして、「うーん」と呻るばかりであり、裸体となって放尿し、拒診・拒薬であった。食事が自分でなんとかできる以外には、横臥しているばかりであり、便所に行くことすらできず、しばしば寝床で放便・放尿してそれを手でいじっていた。言葉も「うう」とか「え、え」というような単音節語ばかり、交話らしいことは一切できなかった。面会は二回。まずは223日に「主人」が面会に来て、そこでも「カヘリタイ、カヘリタイ」と言うだけで、あとは「ウ、ウ、」と言うだけであった。412日に「家人面会あり」というから、これは主人ではなくて家族の一人だろうが、やはり交話することはなく「ウン、ウン」と言うだけであった。その翌日に患者は退院している。想像力を働かせると、F0002は地方出身の酌婦で、玉ノ井の仕事にはつきものの梅毒が神経を侵し、半年ほど発作を押して仕事をしていたが、とうとう激しく侵された状態で入院したこと、2か月の入院のあと、生家か親戚かを呼んで引き取らせたということになるだろう。玉ノ井の酌婦が、重度の梅毒性精神病にかかり、東京の精神病院の比較的短期の入院を経て、貧困にあえぐ農村に廃人となって送り返されるプロセスの一部を描き出していると考えていいだろう。退院の日の看護日誌は「413日 何もわからず、身支度などしていただき、何も申さず本日十時退院」と記している。

 

『濹東綺譚』のお雪は、もちろん主人公が淡雪を解かすように関係から去っていくのだが、お雪のほうでも病気になって入院して物語から去る。そのありさまを荷風はこのように記している。「お雪の病んで入院していることを知ったのはその夜である。雇い婆から窓口で聞いただけなので病の何であるかも知る由がなかった」