医学・疾病統計の誕生

先日の記事で精神病患者の平均余命と生命保険会社の話をしたけれども、コメントを受けてちょっと気になったので、平均余命と生命表の誕生の話を読みなおす。文献は、Eyler, John M., Victorian Social Medicine: the ideas and Methods of William Farr (Baltimore: The Johns Hopkins University Press, 1979).

ウィリアム・ファー(1807-1883)は、19世紀に新設されたイギリスの中央戸籍局 (General Register Office)をもとに、医療統計の基本を確立した人物。当時の衛生学をリードしていたフランスのパリでPierre Louis らに統計的な思考法を医学にどのように活用するかを学び、帰国してイギリスで医療改革を推進した改革派の医者。彼がイギリスでホイッグ党やロンドン統計協会などの活動に参加しながら論文などを出版しはじめた1830年代にはイギリスにはまだ死亡・死因統計をはじめ、医療統計の基本になるデータが揃っていなかった。この時期に彼は、局地的で不完全なデータに基づいた研究論文などをかきあつめて、イギリスの医療統計を論じた論文を書き、マクロックの『大英帝国要覧』なる書物の一章として発表している。このときのデータは、それまで医学論文に発表された小規模な統計や、医療の互助機能も持っていた友愛協会のデータ、それから保険の死因統計などを用いたものであった。この段階で、すでに医療統計は、生命保険・医療保険と深い関係があった。また、もちろん、ファーの生命表は、生命保険会社で使われていたものをそのまま応用したものである。

ちなみに、若きファーはパリ仕込みの科学的医学の福音にすっかりやられ、ロンドンのエリートのコンサルタント医師たちを、金持ちと貴族にこびへつらうおべんちゃらがうまい奴らだと軽蔑していた。「金持ちと貴族にこびへつらって、おべんちゃらがうまい」というのは、確かに穏やかな言い方ではないが、事態の本質は突いている。そして、そのような医者たちは、科学的な医学を捨て、「神経病か婦人病の本」を書いて、ロンドンの人気医者になろうとするものだといっている。ここで、金持ち相手に開業して成功する分科の代名詞として、神経病か婦人病を出している部分、これは引用できる。