『漢詩一日一首 秋』

一海知義の『漢詩一日一首 秋』を読む。秋の漢詩は何かを憂うものが多い。秋の憂いの感覚が、昔の日本人の感性にはあっていたのかな。私は、たぶん現代の日本人の多くと同じように、余情を表現するときには「やまとことば」、鋭い言い切りが欲しいときには「漢語」か「英語」という使い分けをするように頭ができているせいか、漢字で余情や奥行きが表現されるということに慣れるのに少し時間がかかった。 

杜甫の有名なものがいくつもあって、解説にも力がこもっていて素晴らしかったが、それ以外に印象に残った詩人と作品を。三世紀末の詩人、左思は、生まれは低く、容貌は醜く、口下手であった。微賎・醜貌・訥弁と、三つのハンディを負っていた彼が、雌伏十年ののちにものした「三都の賦」という作品は、爆発的な人気を集め、人々は争ってこれを書き写した。書物などをほめるときに使う「洛陽の紙価を高らしむる」という故事成語を作り出した、まさにその作品である。

ハンディを克服して人気文人となった左思であるが、その作品は典雅であると同時に、恵まれない境遇の中で詩作をする屈折した怨みといってよい思いがこめられている。彼の「秋風列列」という作品は、秋が来て激しい風が吹き、凋落し始める自然、不気味に射しこむ月光、朝方に響く哀しげな雁の声と、凄絶な孤独感に満ちた秋を歌う。そして、この詩は、その敵意に満ちた光景の中にあって、志を高く持ち、四海を狭しとしながらも、それゆえにこそ、ぽつねんとひと気がない部屋にいる詩人自らの姿が描かれえいる。「孤高と焦燥が表現されている」というのが、とても共感できる。

高志 四海を局し(せまし)とす
塊然として 空堂を守る