必要があって、ラエネック『間接聴診法』の翻訳を読む。文献は、ラエンネック『聴診法原理および結核論』訳ならびに解説・柴田進(東京:創元社、1950)私は、寡聞にして、この書物の日本語訳が出ていたことを知らなった。ラエネックの全訳ではなく、第二版を部分的に選んで訳したものだけれども、訳されている部分だけでも、この名著の香気を伝えているし、訳者が一語一句を楽しみながら訳していたことが伺える。
間接聴診法の原理を発見して(太った女性の胸に、丸めた紙をつけて音を聴いたエピソードで有名な発見である)、聴診器で胸部のさまざまな音を聞いては、その音がした患者の死体を解剖して、音と病理解剖を対応させる努力を積み重ねた、パリの臨床医学革命の傑作である。フーコーも言うように、その病理解剖の記述の異様な緊張も素晴らしいが、私は、一つ一つの音を正確に区別して、しかもそれを学生がイメージを持ちやすいような巧みな比喩で表現しようとしている部分が好きである。「聴診器のシリンダーを直接つつぬけに伝わるかのような音」(ペクトリロキ)、「声よりも一層するどく、かつ身にしみわたる金属性の音。声というより、声のこだま」(エゴフォニー)、ポリチネッレと呼ばれる有名な大道芸人の芝居小屋の役者のような鼻にかかった声」、「手鍋に入れた塩を弱い火で焼く時のぱちぱち言う音」「油をぬってひっつけた二枚の大理石板を急に引き離す時の音」などなど。そして極めつけは、「四分の三、空になったかめにしずくが落ちた時に生ずる音にきわめてよく似た音響」である。
それから、もうひとつ、気がついたことがあった。ラエネックはもちろん病院の患者の剖検を無数に行ってこの聴診法を完成させた。(翻訳者は、日本では病理解剖が嫌われるから、聴診する機会はあっても、解剖して確かめる機会が少ないと書いている。ついでにいうと、尿検査などの化学的な診断はほとんど用いずに、聴診器一本で済ませているとも。)上流・中産階級の患者ももちろん診ていて、こういった個人個人の患者たちについても、医者同士で情報を交換していた。あるイギリス人患者について、パリでラエネックが診て、ローマに行ってクラーク(キーツの結核を診た医者である)が診て、その聴診の結果をラエネックに送ってきて、まったく一緒だったと書いている。