社会的入院の研究

必要があって、現在の社会的入院の研究を読む。文献は、印南一路『社会的入院の研究―高齢者医療最大の病理にいかに対処すべきか』(東京:東洋経済新報社、2009)

不適切な入院、あるいは社会的にみて適正さを欠く入院を社会的入院と呼んで、厚労省の180日以上という数値化はできるけれどもお役所的な基準ではなく、もっと踏み込んで論じて、その原因と解決策を論じた書物。猪飼周平『病院の世紀の理論』が「明治以降の病院の私的所有という原理」という長期的・原理的なパースペクティヴの中に位置づけた問題を、より具体的に論じている。

ここからは私自身のリサーチの話。長期的入院の中でも、精神病院のそれは群を抜いている。戦前においても精神病院、とくに公費による入院期間は、私のデータ(東京の王子脳病院)でいうと、中間値でいって500日から900日であり、私費の患者の入院期間の10倍もある。これは、治療までに時間がかかるということより、いったん入院すると死ぬまで収容され続ける患者が多かったからである。(同じく王子脳病院のデータでいうと、公費患者の2/3が病院の中で死亡している。)精神病院の入院の長期化と、社会的入院の背後には、家族が患者を病院に廃棄したという構造があることを論じたのが、ほかならぬ呉秀三であった。

戦前には精神病院には結核が蔓延していたので「死ぬまで」といってもそれほど長くなかった。戦争末期の食糧危機は患者を殲滅させたから、この「死ぬまで」ということがもつ意味は数字の上では実現されていない。しかし、結核がなおるようになり、食料状況が改善された戦後には、「死ぬまで」のポテンシャルが十全に実現されるようになった。

つまり、家族による廃棄という構造は変わっていない。しかし、結核などの感染症をおさえることができるようになったため、戦後の精神病院では、長期入院・社会的入院が顕在化するようになったというシナリオを組むことができる。