『神経病時代』

必要があって、広津和郎の『神経病時代』を読む。昭和26年発行の古くて壊れそうな岩波文庫で読んだ。

もともとは大正6年に『中央公論』に発表された筆者の文壇処女作。大正二年に早稲田大学を卒業して東京毎夕新聞の記者として働いていたときに書いた作品である。鈴木定吉なる主人公も大学を出て新聞記者をしていて、作家自身とその身辺に題材をとった作品である。作者のあとがきには、当時の若いインテリたちの間では、トルストイの精神的ストイシズム、ベルクソンの生命の哲学などと色々と流行ったが、しかしいずれにせよ実行力と忍耐力に欠けていたとある。いま聞いてもやっぱり耳が痛い(笑)

主人公は新聞社の編集見習いをしている駆け出しの記者で、朝9時に出社して月給30円を貰っている。身長は高く目鼻立ちは整っている。仕事はつまらない。自動車事故や自殺の記事を書く仕事をしていて、会社の電話がなるのを恐れている。東京生まれで田舎に憧れ、美しい田舎にいってそこでトルストイを読もうなどと考えている。今の言葉でいうと草食系で、肉食系女子の奥さんに童貞を奪われて子供ができてやむなく結婚しているが、妻との生活はあさましいと思っている。妻は二、三日に一回、あるいは毎日、ヒステリーの発作を起こし、定吉はトルストイの「クロイツェル・ソナタ」のような肉欲的なヒステリーだと思いながら、その肉欲の発作にけりをつけ、翌朝には機嫌が良くなった妻が、隣の奥さんのような髪飾りを銀座で買ってきてくれと頼むような人生に、「あさましい! これが生活か!」と心の中で叫ぶのだった。

このような生活の中で、彼の神経は次第に抑制がきかなくなる。神経に、まるで一つの方向が与えられたかのように、ちょっとした刺激を受けると、すぐにもその方向に向かって、彼の理性がそれを否定するのに、それだのにどうしてもそうならずにはいられない苦しい方向に向かって進み始める(52) そして、彼の生活は、「あっ!」という叫びにしかならないような衝動に支配されるようになる。その衝動は、心臓に宿るなにかであった。(「ハァトがつぶれるような」)そして、医学的な現象であった。(「今の医学ではこれを何と呼んでいるのか」)それは肋間神経痛に似た痛みであり、反射的な神経の痙攣であり、人格の破たんから来る神経の振動であった。この衝動に駆られて、定吉は酔っぱらって殴ろうとした友人から逃げ、新聞社の給仕を殴り、そして最後には妻を殴る。そしてそのたびごとに後悔し、あるいは新しい道を歩き出そうと思うのだが、結局は何も起きない。

新しい大正の若き知識階級・教養階級が自分の無力感を表現しようとしたときに、神経の反射の言葉を使ったことは憶えておくべきである。読んでよかった。

ひとつ、無駄話。 定吉の友人がある女性に恋を告白するからついてきてくれと言われるエピソードがある。もちろんこの実行力がない男たちに告白なんてできるわけがないけれども、それはいいとして、その女性の姿を見た時に意外だったというくだりがある。その友人の恋の相手として、しとやかな、ほっそりとした、ハイカラな「虎の門風のお嬢さん」を想像していたのだが、実際に現れたのは、無骨で活発な女で、小学校の女教師のようになりふりかまわずにぱっぱっと大またに活発に歩く女であった。小学校の先生が無骨でなりふりかまわない女かどうかはおいておいて、この「虎ノ門風」というのは、たぶん、東京女学館のことだろう。その制服は、男子の間では今でも「セーラー服の理念型(イデアール・ティプス)」と言われているけれども、他の女子高の出身者は「どこがいいのか分からない」と、とても冷淡である(笑)