連続凌辱者としてのヒグマというイメージ(よくわからない)

吉村昭羆嵐』(東京:新潮社、1982

吉村昭の作品は気がつくと読むようにしている。医学史分野では『ふぉん・しいほるとの娘』『日本医家伝』などの古典的な評論があり、地震の歴史では『関東大震災』『三陸海岸津波』などを読んだ。先日、何かの本を調べている時に、アマゾンで推薦されて、『羆嵐』という不思議なタイトルであったこと、大正期に起きた日本最大の獣害のドキュメンタリーであることなど、好奇心で買ってみた。もちろん、吉村ほどの力がある書き手の作品だから、安心して読むことができた。

 

大正4年に北海道でヒグマが村落を遅い、6人を殺した事件の顛末である。場所は天塩山地で、「六線沢」なる川沿いに奥に入った山間部の新しい開拓地である。入植からまだ4年しか経っておらず、戸数はわずか15戸であった。この入植者たちは、別の村に開拓者として入ったが、昆虫の被害がすさまじいのでたまりかねて村ごと転地したという。その六線沢の近くには、三毛別(さんけべつ)なる村があり、その周辺ではもっとも早くから入植された村であった。さらに海岸線のほうにいくと、鰊の漁で村々には活気が満ちていたという。村の豊かさでいうと、海岸線の村―三毛別―六線沢の順で貧困になっていき、最も貧しい六線沢は、その土地に人間がまだ定着しているかどうかが定かでないような、過酷な自然に人間が辛うじてしがみついているような状態であった。その土地をヒグマが襲ったのである。警察が呼ばれ、広範な地域の住民が鉄砲をもって熊を退治しようとするが、最後にその熊を撃って殺したのは、プロの熊撃ちだが酒と暴力と捻じ曲がった人格で村の嫌われたものであった。そのあたりの人間模様が描かれていて、面白いと思う人もいるだろう。

 

一番面白かったのは、連続凌辱者、それもフェティッシュが入っている凌辱者としてのクマという像であった。当時の記述によれば、ヒグマは人間を襲ってその肉をむさぼり食った。より正確に言うと、冬ごもりの前の餌として人間の肉を貪ることが目標であった。そのために、狙い撃ちにするようにして村落と人家に襲い掛かった。この記述をどう判断するかはもちろん倫理的な問題で複雑なのだろうが、そんなことまでするのだろうか。さらに驚くには、そのヒグマは雄であったが、最初に人間の女の肉を食べたので、それ以降も女の肉ばかり食っていた。殺した6人の中には男も子供もいたのだが、男の肉は食わず、女の肉ばかり選んで食った。さらに、他の家に侵入しては、女の衣類、枕、深部など、女の匂いがついているものを貪るようにあさっていた。女を求めて村を歩き回った。別の女が使っていた湯たんぽも興奮して噛み砕いたという。ここで想像されているのは、ヒグマが、性的な亢奮に駆られて凌辱と貪りと人肉食を行っているという図である。クマの生態をいっさい知らぬ私としては、クマの行動として本当にそんなことをするのだろうか、どちらかというと、人々の想像力や構成力の産物ではないかという気がする。少なくとも、当時は、このような性欲にあふれて連続凌辱を続ける動物のイメージが結ばれたことは憶えておこう。