新大陸の人口減少―天然痘の処女地感染<以前>の人口減少について

マッシモ・リヴィ=バッチ『人口の世界史』速水融・斎藤修訳(東京:東洋経済新社、2014

歴史人口学の第一人者が書いた分かりやすい人口の世界史。ペスト(黒死病)による人口減少と新大陸の人口減少についての記事を確認する。

 

処女地感染による人口減少について、まとめのためのメモ。現在はドミニカ共和国とハイチがあるイスパニョーラ島サント・ドミンゴ島)は、コロンブス1492年に到着したときに、人口が大きかったのは間違いない。報告には「コルドバの村のように」稠密であると記載されている。具体的に何人いたかの推計は、現在では6万人から800万人までの差があるが、20万人から30万人くらいという数値があげられている。151819年に有名な天然痘の最初の大流行があり、その結果、人口は1万人以下になってしまう。ヨーロッパからもたらされて原住民が人工的な抵抗力を持っていない病原体の効果はすさまじい。

 

重要なポイントは、実は1514年の比較的な確かな人口が分かっているということである。つまり、イスパニョーラが経験した最初の大きな感染以前の人口が分かっているのである。その人口は26000人。1492年の人口をどう推計するにしても、その当時よりも劇的に少なくなっている。つまり、イスパニョーラ島においては、天然痘は、すでに急激な減少に向かっている人口にとどめの一撃を加える形になったというのである。(もちろん、天然痘自体が劇的な最初の衝撃となった地域もあるだろう。アステカ王国がこれにあたると私は思っている。)

 

それなら、なにがイスパニョーラの人口を減らしていたかというと、エンコミエンダ制であり、鉱山の開発をめざして原住民の男を移住させて過酷な搾取の状態におき、原住民の女も性的に搾取して原住民の再生産プールから取り出す人口レジームが作り上げられた。

 

もう一つ、あまり気に掛けたことがなかった点だが、征服者たち自身にとっても、大西洋を横断して新大陸に行くということはリスクが非常に高い営みであったとのこと。航海に出発した人口の中で帰ってきたのは半分以下という事例が非常に多くなる。このことは、原住民に対する態度の形成に大きな影響を及ぼしただろう。

 

リヴィ=バッチの説明はさすがに洗練と深い洞察を感じられる。新大陸の征服についてのモノグラフも読んでおこう。