『影のない女』


新国立劇場でリヒャルト・ストラウス作曲の『影のない女』を観る。

「影を持たない女は子供を持つことができない」という主題を中心にしたストーリー。影を持たぬゆえに子供を持つことができない皇后が、ある貧しい人間の女で染物屋の妻から影を譲り受けようと持ちかける。その女は影を譲り渡せば、夫との間に子供はできなくなり、二人の愛は死に絶える。皇后は、自分のために、その女の幸福を犠牲にすることに耐えられず、結局はその影を譲り受けることを断念するが、その皇后の自己犠牲の瞬間、彼女にも影が生じ、一方、染物屋の妻も夫との間に子供を作り幸福になることができるハッピーエンドを迎える。

この作品を観るのは二回目で、一回目は、15年以上前だったと思うが、ロンドンのコヴェント・ガーデンで、デイヴィッド・ホックニーが舞台美術を担当したプロダクションだった。そのときも同じ違和感をもった。この作品をみると、女性の生殖能力の賛美という側面が印象に残りすぎる。随所で「生まれない子供たち」が悲しげに訴えるコーラスが配され、皇后が影をもったり、染物屋の夫婦が性交したいという欲望を持つと、生まれない子供たちの楽しげなコーラスが入ってくる。まるで避妊の禁止、「産む機械」としての女という主題をオペラにしたように聞こえてしまう。きっと、そういうことではないのだろうけれども、ストーリーにのめりこむことができない。シェイクスピアの『ヴェニスの商人』の反ユダヤ主義が気になるのと同じ理由だと思う。

台本と主題には違和感を持ったけれども、音楽は素晴らしくて、特に愛が賛美される音楽は聞き惚れるものが多かった。これも、子作りの賛美なんだけど(笑)

画像は有名なムンクの「マドンナ」(1895)エロティックだけど病的な女性の「中に」入れずにその周りを走る精子と不気味な胎児が描かれていて、この脳天気に明るいオペラの別の顔はこの暗いヴィジョンのような気がしてしまう。