ドイツの「大学医学」の成立

必要があって、ドイツの大学での「科学研究」の起源を論じた古典的な論文を読む。文献は、Turner, R. Steven, “The Growth of Professorial Research in Prussia, 1818-1848 – Causes and Context”, Historical Studies in Physical Sciences, 3(1971), 137-182. この論文、重要な論文だけれどもまだ読んでいなかった。もっと早く読んでいればとほぞをかむ。

19世紀前半のドイツで、「大学で研究をする」という、それまでの大学の機能から見ると意外なことが起きた。それまでの大学は基本的に専門学校で、聖職者、法律化、医師などの専門職を養成するのが主たる機能で、大学教授というのは基本的に既存の知識を正確に伝える教師であった。その大学で、教授をはじめとする教師たちが「リサーチ」を始めた。それまでリサーチは、たとえば「アカデミー」などで行われるのが主流であった。これは、他の学問もそうであるが、医学の基本的な性格を変える大きな変化であった。教育機関の教師が研究を献身的に行なうという事態は、そこで教育された医者たちの「集合的な志向」を知識の獲得、それも、狭い限定された分野において、ささやかだが新しい知識を付け加えること、という形でのリサーチを医者全体に広める効果があった(おそらく)。 

この大学教授の変容の原因として、それまでドイツの「ヴィッセンシャフト」という理念の魅力、競争的な環境などが上げられているが、ここでは、国家による介入の影響が強かったとしている。