必要があって、フーコー派の社会学者によるバイオパワー論を読む。文献は、Rabinow, Paul and Nikolas Rose, “Biopower Today”, BioSocieties, 1(2006), 195-217. この論文は、ウェブ上で閲覧できます。http://ww.lse.ac.uk/collections/brainSelfSociety/pdf/Biopower-today-2006.pdf
フーコーが晩年に発展させた「バイオパワー」の概念を取り上げて、ネグリやアガンベンがそれを帝国主義とホロコースト研究に発展させて注目を浴びている。しかし、この書物の著者たちは、それはフーコーのバイオパワーとは違う概念だろうという。バイオパワーは、その極端な状態においては、強制収容所のように死を与える政治になることは事実であろう。しかし、強制収容所をモデルにしてバイオパワーを理解するのは、両者にとって不適切と言うか、両者をトリヴィアルなものにするだろうという議論。実は、これは、しばらく前に金森先生の最新作の読書会で私が呈した疑問とほぼ同じで、ちょっと驚いた。そのあとは、彼らが適切だと思うバイオパワーの例をあげた論文。人種、生殖、人口といった古典的なテーマの他に、遺伝子医療の話をあげている。