必要があって、近世フランスとヨーロッパの両性具有を論じた文化史に目を通す。文献は、Long, Kathleen P., Hermaphrodites in Renaissance Europe (Aldershot: Ashgate, 2006)
ヨーロッパの両性具有は、1980年代から90年代にかけて学問の問題として離陸した。ジェンダー論が、それまでの硬直した態度をやわらげて身体とセックスの問題も取り上げるようになり、グリーンブラット、ダストン、パーク、ラカーなど、近世の文化研究のスターたちが両性具有について示唆的な仕事をし、そしてもちろんフーコーが『エルキュリーヌ・バルバン』の資料を翻刻した。その流れをくんで両性具有の問題をうけつぎ、ルネサンスのフランスを中心に広く文献を渉猟してテーマをしぼりこみ、両性具有の全体像を描いた文献である。
出発点は、両性具有を秩序との関係で捉えることである。「二つの性がある」という構造は、世界と社会を安定させている規範である。しかし、一つの身体に両性を具有させた存在は、その規範に挑戦し、現在の社会を不安定にする力を持っている。政治的な風刺などの文脈では、王の治世が乱れていたり、宗教改革後の争いで社会が混乱している状態、すなわち秩序が失われていることの記号として両性具有は用いられる。まさしく「示すもの」としての「モンスター」である。そのような秩序を軸にした脈絡の中で、医学的な両性具有論と風刺の中の両性具有論が検討される。医者の名前でいうと、パレやカスパール・ボーアンやジャック・デュヴァルなどは、この議論の中で取り上げられる。
ところが、もう一つの系譜の両性具有が存在するという。これは、近世フランスにおいては、錬金術とヘルメス主義の文脈でさかんに用いられた。変成や混合を通じて物質を変えることを目標にした当時の錬金術、それに思想的な脈絡を提供したヘルメス主義においては、男と女から別の人間ができるという生殖という現象は、重要なパラダイムであり、その関連で、両性具有は大いに注目された。(のちにこれを分析心理学の視点でふたたび取り上げたのがユング派である。)こちらの系譜における両性具有は、秩序を侵すものというよりも、異様であると同時に新しいものを生み出す力を持つ存在であった。この意味合いをもつ両性具有も当時の文献にあらわれているという。
構造を維持することに加えて、構造を生成するという、相反するような二つの側面をあらわす両性具有が、この時代に併存していたことの重要性は、この書物では必ずしも理論化されていないようにも思うが、この指摘はとても重要だろう。