丘浅次郎の進化論と政治思想

必要があって、丘浅次郎の進化論を政治思想、特に「国体」の思想と関連させて理解する論文を読む。文献は、Sullivan, Gregory, “The Instinctual Nation-State: Non-Darwinian Theories, State Science and Ultra-Nationalism in Oka Asajiro’s Evolution and Human Life”, Journal of the History of Biology, published online 16 Nov 2010. とても優れた議論だった。

丘の生物学思想と、同時代の政治思想の間に密接なつながりをみいだし、丘の思想は、のちの全体主義思想を先取していたとする議論である。東京大学の法学者、経済学者たちや、彼らの影響を受けた明治後期の政治家・官僚は、ドイツの有機体的な国家論・社会論を奉じていた。19世紀のフランスの革命と社会主義の進展をにらんで、資本主義と市場社会は階級闘争と個人主義をもたらし、社会の統一性を失わせることは必至であるから、そうならぬように、国家と社会を有機的に合体させた構造を作ることを説いた思想である。同じように、『進化と人生』における丘も、個人が有機的集合体の「細胞」となって、より高次の国民国家という個体の存続に完全に包摂されていくモデルを考えていた。ハナ・アーレントが『全体主義の起源』でいうように、「全体主義は、外部からの方法によって支配することで満足することは決してない」である。丘のヴィジョンにとっては、日本民族と国家の「若さ」が切り札であった。そこには、原始の集合的な力が残っており、そこに国民の健康がかかっていた。

これは、政治体 (Body politic) と生物のからだの間を「なぞらえて考える」という、有名な思考形態の一つである。